木曽路は、山の中である。
海から遠く、峠を越えなければ外の世界に出られない場所で、人は長いあいだ暮らしてきた。
塩が貴重だった時代。「米は貸しても、塩は貸すな」と言われるほど、山深い木曽では塩は命に等しい存在だった。そんな土地で、不思議な漬物が生まれる。塩を一切使わず、発酵の力だけで漬ける「すんき」である。
今回のあさイチ「愛(め)でたいnippon 長野」は、豪雪の町や、県民なら誰もが歌える県歌と並んで、この木曽の食文化に光を当てる。
なぜ、塩を使わないのか? なぜ、その味は他の土地では再現できないのか? そこには、自然条件だけでは説明できない、人の知恵と時間の積み重ねがある。山に囲まれた木曽で育まれてきた「すんき」。それは、厳しい環境の中で生き抜くために選ばれてきた、静かな発酵のかたちである。
【放送日:2026年2月12日(木)8:15 -9:55・NHK-総合】
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木曽路は山の中──海から遠い土地の現実
木曽路は、藤村も「夜明け前」の冒頭で書いているように、文字どおり”すべて山の中”である。四方を峠に囲まれ、海から遠く、平野も少ない。外へ出るにも、物を運ぶにも、人は長いあいだ山道を越えるしかなかった。
江戸時代、この地は幕府の直轄地、いわゆる天領とされた。理由は明確で、木曽の山々には、城や社寺の建築に欠かせない木曽檜があったからだ。一本一本の木が厳しく管理され、勝手な伐採は許されない。山は豊かでありながら、同時に縛りの強い土地でもあった。
山の恵みはあっても、海の恵みは届かない。とりわけ塩は、日常に欠かせないにもかかわらず、峠を越えて運ばなければならない貴重品だった。「米は貸しても、塩は貸すな」という言葉が生まれた背景には、この地理的な現実がある。冬になれば、道はさらに閉ざされる。雪と寒さの中で、外からの供給に頼らずに暮らす知恵が求められた。
木曽の食文化は、“選べなかった条件”の上に積み重ねられてきた文化でもある。
・山しかない。
・海がない。
・塩がない。
この三つの制約は、不自由さであると同時に、人の工夫を静かに促してきた。後に「すんき」と呼ばれる発酵食は、この現実から目を逸らさず、受け止めた末に生まれたものだ。
木曽の暮らしは、豊かさよりもまず、続けることを選んできた。その選択の積み重ねが、今日まで残る独自の味へとつながっている。
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なぜ塩が使えなかったのか?
木曽で塩が使えなかった理由は、単純で、そして深い。海から、あまりにも遠かったからだ。木曽谷は、現在の感覚で見ても交通の要所とは言いがたい。峠を越え、山を抜け、ようやく外の地域とつながる。ましてや近代以前、重い荷を運ぶ手段は人と馬しかなかった。
塩は生活に欠かせないが、運ぶには手間と時間がかかる。その分、値は上がり、簡単に使えるものではなくなった。
「米は貸しても、塩は貸すな」
この言葉は、決して大げさな比喩ではない。米は山でも作れるが、塩は作れない。塩を失うことは、味を失うこと以上に、生きる術を失うことを意味していた。
だから木曽の人々は、「塩をどう手に入れるか」ではなく、「塩を使わずにどう保存するか」を考えた。ここで選ばれたのが、発酵という方法だった。
塩で腐敗を止めるのではなく、乳酸菌の働きで、食べものを守る。赤かぶの葉や茎を使い、自然に存在する菌の力を引き出す。それは、理屈よりも先に、生活の中で磨かれてきた知恵だった。塩がないことは、不利な条件だった。だがその制約は、他の土地にはない発想を生み出した。
すんき漬けは、「塩を使えなかった結果」ではなく、塩に頼らなかった選択の積み重ねなのである。木曽の食文化は、不足を嘆くのではなく、あるものと向き合うことで形づくられてきた。この姿勢こそが、次の章で語られる「すんき」の出発点になる。
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塩を使わない漬物「すんき」の誕生
塩に頼らず、どうやって食べものを保存するか?
木曽の人々がたどり着いた答えが、赤かぶの葉や茎を使った、無塩の発酵漬物「すんき」だった。材料は、ごく身近なものだ。木曽地域で古くから栽培されてきた赤かぶ――その根ではなく、葉と茎を使う。捨てられがちな部分を、冬を越すための食へと変える。そこにも、無駄を出さない暮らしの感覚がにじんでいる。
すんき漬けの最大の特徴は、塩を一切使わないことだ。代わりに用いられるのが、「すんき種」と呼ばれる発酵の元。前年に漬けたすんきを干したものや凍らせたものを使い、乳酸菌の働きを次の年へと受け渡していく。
まず、赤かぶの葉を湯にくぐらせ、表面の雑菌を落とす。完全に殺すのではなく、余分なものを抑えるための工程だ。温かいうちに、すんき種と重ね、適温のゆで汁を加えて仕込む。
ここで重要なのは、温度と時間。熱すぎれば菌は死に、低すぎれば発酵は進まない。こうして始まるのが、乳酸菌による発酵である。塩で抑え込むのではなく、乳酸菌が優勢になる環境を整えることで、腐敗ではなく、保存へと向かわせる。
すんきは、強い酸味を持つ。だがその酸味は、刺激的というよりも、山の冬を思わせる、澄んだ輪郭をしている。塩味に頼らないからこそ、素材と発酵そのものの味が、はっきりと立ち上がる。
この漬物は、偶然の産物ではない。塩がないという現実を前に、試し、失敗し、継いできた結果だ。すんきは、木曽の人々が環境と折り合いをつけながら生きてきた証なのである。
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発酵は土地に宿る──他所では再現できない理由
すんき漬けを知ると、ドイツのザワークラウトを思い浮かべる人も多いかもしれない。どちらも乳酸菌による発酵食品で、時間と菌の働きによって酸味が生まれる点では共通している。
だが、決定的な違いがある。ザワークラウトは、塩を使って発酵を導く。刻んだキャベツに塩を加えることで、不要な菌を抑え、乳酸菌が優勢になる環境を人為的に整える。再現性が高く、場所が変わっても同じ味を目指せる発酵だ。
一方、すんき漬けは違う。塩を使わず、発酵の鍵を「土地」と「継がれる菌」に委ねている。すんき種は、前年のすんきから受け継がれ、家ごと、集落ごとに微妙に異なる。同じ手順で漬けても、他所では同じ味にならないと言われる理由が、そこにある。
木曽には、木曽の空気がある。木曽の水があり、寒さがあり、赤かぶに付着した、その土地固有の乳酸菌がいる。人はただ、湯の温度を測り、仕込みの場所を選び、菌が働きやすい環境を整えるだけだ。
発酵を「管理」するのではなく、発酵に任せる。すんき漬けは、そうした距離感の上に成り立っている。だからこそ、すんきは文化になる。
レシピとして切り出すことはできても、完全に移植することはできない。そこには、土地の記憶と、人の手の感覚が染み込んでいるからだ。
発酵は、技術であると同時に、風土そのものでもある。すんき漬けは、木曽という土地が長い時間をかけて育ててきた、目に見えない営みの結晶なのだ。
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冬の保存食から、いまの食卓へ
すんき漬けは、もともと冬を越すための保存食だった。木曽の冬は厳しく、雪に閉ざされ、新しい野菜が手に入るまでには長い時間がかかる。その間、囲炉裏のある暮らしの中で、すんきは日々の食卓を支えてきた。
寒さが増すほど、赤かぶの葉は甘みを増し、乳酸菌は静かに働く。霜が降りるのを待って収穫し、仕込まれたすんきは、時に凍りつき、時に解けながら、冬の時間を一緒に過ごしてきた。
食べ方は、決して特別ではない。そのまま刻んで食べる。温かい蕎麦に入れる。汁物に加える。塩味の代わりに、酸味が料理の輪郭を整える。派手さはないが、体が欲する場所に、すっと収まる味だ。
近年、すんきは保存食としてだけでなく、新しい形で食卓に戻ってきている。洋食に取り入れられたり、発酵食品として健康面から注目されたり。かつての生活の知恵が、別の文脈で見直されている。
それでも、すんきの本質は変わらない。流行のために生まれた味ではなく、必要に迫られて選ばれてきた味。だからこそ、時代が変わっても、静かに受け入れられる。
冬の保存食だったすんきは、いま、木曽の時間を連れたまま、現代の食卓に置かれている。そこには、過去と現在をつなぐ、無理のない連続がある。
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すんきの乳酸菌が“いま”につながる!?
すんき漬けは、長いあいだ木曽の暮らしを支えてきた保存食だ。だが近年、この伝統食は、「発酵食品」という別の角度からも注目されている。
すんきの酸味を生み出しているのは、乳酸菌である。調査によって、すんきにはヨーグルトに匹敵するほどの乳酸菌が含まれていることが分かってきた。しかも、その種類は一つではなく、数百ある乳酸菌の中から、すんき漬けに適した菌が選ばれて働いているという。
かつては、囲炉裏のそばで仕込まれ、経験と勘によって受け継がれてきた発酵。それがいま、研究の対象となり、菌の働きが言葉として説明されるようになった。
しかし、ここで重要なのは、「科学がすんきを証明した」という話ではない。科学が追いついたのは、すでに続いてきた知恵の後ろ姿だということだ。
温度を守る。菌を継ぐ。無理をしない。そうした積み重ねがあったからこそ、乳酸菌は働き、味は安定してきた。
現代の研究は、すんきを工業製品のように均一化するためではなく、この発酵文化を次の世代につなぐ手がかりとして進められている。変えるためではなく、続けるための知見だ。
すんきは、過去の食べものではない。山の中で生まれ、いまも静かに更新され続けている。伝統と科学が出会うことで、すんきは再び、現在の言葉を獲得しつつある。
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木曽のすんきが語る、長野という県
長野県は、ひとことで語れる場所ではない。北信の豪雪地帯もあれば、高原の風が吹き抜ける地域もあり、そして木曽のように、山に抱かれた谷もある。
「長野県民は、自分の家の標高が言える!」
そんな話が、冗談のように語られることがある。けれどそれは、この県では土地の条件が暮らしに直結しているという、ごく自然な感覚の表れなのかもしれない。
木曽のすんきも、同じだ。海から遠く、塩が手に入りにくい。冬は長く、道は閉ざされる。そうした条件の中で、人は「何ができないか」ではなく、「どうすれば続けられるか」を考えてきた。
すんきは、派手な名物ではない。観光の目玉になるような味でもない。それでも、何百年も途切れずに受け継がれてきた。それは、この土地の選択が、無理のないものだったからだ。
今回の「あさイチ」が映し出す長野は、一つの県に、いくつもの時間が重なっている姿である。豪雪の町も、歌い継がれる県歌も、そして木曽のすんきも、すべては同じ「長野」という器の中にある。
木曽の山の中で生まれた、塩を使わない小さな漬物。その酸味の奥には、土地と向き合い続けてきた人の時間が、静かに溶け込んでいる。