もの言わぬ装いの奥行き
朝夕の光がわずかに傾くころ、身の回りの小物がふと違って見える瞬間があります。その違和は、派手さではなく、使い込まれた質感や、控えめな意匠が放つ静かな存在感から生まれるもの。
江戸のおしゃれとは、まさにそうした沈黙の美を語る文化でした。大河ドラマ「べらぼう」を契機に再注目される江戸文化は、衣の外形ではなく、暮らしの作法としての美意識を、私たちに改めて示しています。では、なぜそれが今、心に響くのでしょうか。
■放送日
| NHK Eテレ |
| 2025年12月15日(月) |
一、足元に宿る人格 ―― 下駄という選択
江戸の人びとは、足元にこそ心を配りました。下駄は単なる履物ではありません。歩みの音を整える道具であり、身のこなしを映す鏡でした。
落語協会で十二年ぶりの十六人抜きにより真打へと昇進した落語家、三遊亭わん丈さん。
彼が選ぶ下駄は、舞台上の所作と同様、語りを支える「無言の相棒」です。鼻緒の色や素材、台との取り合わせ――その一つひとつが、噺家の美学を静かに語ります。
老舗履物屋に並ぶ鼻緒は、千種類を優に超えるといいます。選ぶという行為は、己の輪郭を定めること。多様性の中から、あえて一つに決める。その抑制こそが、江戸の粋でした。
なぜ、足元が人格を語るのでしょうか。答えは、歩き方が生き方を映すからです。
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二、髪に刻まれる時間 ―― つげ櫛の思想
櫛は、日常に最も近い道具の一つです。なかでも**つげ櫛**は、江戸以来、髪と人生をともにしてきました。
歌舞伎や日本髪を結い続けてきた床山が語る言葉があります。
死んでも棺おけに入れない
それは、櫛が単なる所有物ではなく、身体の延長であることを意味します。
柘植(つげ)の木は硬く、粘りを持ち、油分を含む。その性質が、髪を傷めず、使うほどに艶を増す。親子三代で使われる櫛があるという事実は、道具が時間を継承する器であることを示しています。
なぜ、人は同じ櫛を使い続けるのでしょうか。それは、変わらぬ手触りが、変わりゆく日々を支えるからです。
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三、袋に忍ばせる精神 ―― 合切袋のエスプリ
江戸のおしゃれは、外に見せるものだけで完結しません。合切袋(がっさいぶくろ)に代表される袋物は、必要最小限を携えるための知恵であり、同時に精神の表明でした。
煙草入れ、印籠、小銭。持ち物を選び抜くことは、欲を制することでもあります。絹や革に施された簡素な文様は、過不足なき生活の象徴。見せびらかさず、しかし粗末にもしない。その均衡に、江戸のエスプリが宿ります。
なぜ、袋に美が必要だったのか。それは、見えないところにこそ、人の本音が現れると知っていたからです。
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四、時代を越える理由 ―― 現代に生きる江戸の道具
江戸にルーツを持つ小物たちは、博物館の中だけに存在するものではありません。下駄は音を整え、櫛は髪を育て、袋は暮らしを軽くする。その機能は、今も変わらず、現代の生活に溶け込んでいます。
大量生産と即時消費の時代において、使い続けることで完成する道具は、時間の価値を思い出させてくれます。それは新しさへの抵抗ではなく、深さへの志向です。
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結び ―― おしゃれとは、時間への敬意である
江戸のおしゃれを辿ると、そこに共通する思想が浮かび上がります。目立たず、急がず、使い捨てない。その姿勢は、物に対する敬意であり、ひいては人生への向き合い方でした。
足元を整え、髪を労り、持ち物を選ぶ。その一つひとつが、日常を雅へと引き上げる所作となる。
江戸の人びとは、知っていました。おしゃれとは、装うことではなく、生きる時間をどう扱うかなのだと。
静かな感動は、いつも身近なところにあります。それに気づく眼差しこそが、最上の装いなのかもしれません。
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