南国のやわらかな陽ざしの中で、蜜蜂たちは静かに羽音を重ねている。かつてと変わらず、花を追い、蜜を集め、やがて巣箱いっぱいの命を連れて、北へと旅立っていく。
けれど、その数は、少しずつ減っている。輸入蜂蜜の広がりや、後継者の不足――時代の波は、この町にも静かに届いていた。それでも、頴娃町(えいちょう)は変わらず、春のはじまりに“蜂を育てる場所”であり続けている。
そしてもうひとつ、この町には、変わらず続いている時間がある。土のグラウンドに響く、白いボールの乾いた音。去っていくものと、残るもの。そのどちらもが、同じ風の中で揺れながら、いまの頴娃町の風景をつくっている。
【放送日:2026年3月25日(水)10:30 -11:10・NHK-BS】
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春を連れてくる町|頴娃町に集まる養蜂家たち
鹿児島の南、頴娃町。冬の名残がまだどこかに漂うころ、この町には、ひと足早く春が訪れる。あたたかな気候と、早く咲きはじめる花々。そのやわらかな時間を求めて、全国から養蜂家たちが静かに集まってくる。
彼らが運んでくるのは、巣箱と、まだ小さな群れの蜜蜂たち。ここで蜜を集めるためではなく、“蜂を増やすため”に、この地にやってくる。南国のやさしい陽ざしのもとで、蜜蜂は少しずつ数を増やし、巣箱はやがて、命の重みで満たされていく。それは、春を先取りする営み。これから北へと向かう長い旅に備えて、ここで力を蓄える時間でもある。
かつてと変わらず、この町は“はじまりの場所”として、養蜂家たちを迎え入れてきた。花が咲き、蜂が舞い、人が静かに手を動かす。その繰り返しの中で、頴娃町の春は、今年もゆっくりと立ち上がっていく。
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減っていく巣箱|国産蜂蜜を取り巻く現実
春の光の中で、変わらずに見える風景がある一方で、その内側では、静かに変わっていくものもある。かつては、もっと多くの巣箱が並んでいたという。花のあいだを行き交う羽音も、いまより少しだけ、にぎやかだった。けれど2025年の春、この町にやってきた養蜂家は、わずか数組ほど。その数は、年々、静かに減っている。
理由は、ひとつではない。輸入蜂蜜の広がりは、価格というわかりやすい基準で、国産の価値を押し下げていった。そしてもうひとつ、この仕事を引き継ぐ人が、少しずついなくなっている。蜂とともに季節を移動する暮らしは、決して軽やかなものではない。
見えない手間と、長い時間をかけて、ようやく一瓶の蜜が生まれる。その営みを、次へと手渡すことの難しさが、いま、この町の静けさに重なっている。
それでも、ここに来る人が、いなくなったわけではない。減っていく巣箱のあいだで、変わらずに手を動かし続ける人たちがいる。その姿は、どこか静かで、けれど確かに、この場所の意味をつなぎとめている。
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それでも続く旅|蜂とともに北へ向かう人たち
春のあたたかさに包まれた頴娃町で、蜜蜂たちは静かに数を増やしていく。やがてその巣箱が、命の重みで満ちてくるころ――ひとつの“区切り”が訪れる。ここは、終わりの場所ではない。むしろ、ここからが始まり。養蜂家たちは、巣箱を積み、花の蜜を求めて蜜蜂たちとともに、北へと向かう。
花を追い、季節を追い、地図の上をなぞるように移動していく。南で育てた命が、次の土地で蜜となり、また次の季節へとつながっていく。その繰り返しの中にあるのは、ひとつの場所にとどまらない生き方。風の流れや、花の咲く順番に耳を澄ませながら、人と蜂が、同じ時間の中を旅していく。
数は減っても、その営みが途切れたわけではない。むしろ、残った人たちの手の中で、より確かに、受け継がれている。頴娃町で育まれた春は、ここで終わるのではなく、それぞれの土地へと運ばれていく。見えない線で結ばれた、季節と季節のあいだを、蜂たちは、今年も静かに渡っていく。
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グラウンドに残る音|ソフトボールがつなぐ時間
春の頴娃町に集まる養蜂家たちは、ただ蜂を育てるだけではなかった。見知らぬ土地に滞在し、同じ季節を過ごす人たちが、自然と顔を合わせ、言葉を交わしていく。その中で生まれたのが、グラウンドに集まる時間だった。
白いボールが空を描き、乾いた音が、やわらかな風の中に響く。それは、競うためだけのものではなく、同じ場所に集まった人たちが、ひとときを分かち合うための時間だった。
厳しい仕事の合間に、少しだけ肩の力を抜いて、笑い声がこぼれる。そんな光景が、この町の春には、確かにあった。やがて時が流れ、集まる人の数は、少しずつ減っていく。それでも――すべてが消えてしまうわけではない。
グラウンドには、あのときの名残のように、ボールの音が、今も静かに残っている。続けているのは、かつてそこにいた人たちなのか、それとも、この町に残った人たちなのか、はっきりとは分からない。
けれど確かなのは、あの時間が、ただの思い出としてではなく、いまの風景の中にも、そっと息づいているということ。去っていく人がいて、それでも、残る時間がある。そのやさしい重なりが、頴娃町の春を、どこかあたたかくしている。
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■まとめ ~ めぐる季節の中で ~
春の頴娃町に集まった養蜂家たちは、やがて蜜蜂とともに北へと旅立っていく。花を追い、季節を追いながら、それぞれの土地へと向かう長い道のり。けれどその旅は、一度きりで終わるものではない。
また次の春になれば、彼らは再びこの町に戻り、同じように蜂を育て、新しい季節の準備を始める。去っていくことと、戻ってくること。その繰り返しの中で、頴娃町は変わらず、“はじまりの場所”であり続けている。
そしてもうひとつ。人の数が少なくなったとしても、グラウンドに立つ人がいるかぎり、ボールは投げられ、音は、静かに響きつづける。
続けようと強く願わなくても、気がつけば、また同じように集まり、同じように笑っている。たとえ二人だけになったとしても。それでも、キャッチボールは続いていく。そんな人の営みが、この町の春には、そっと残っている、
去っていくものと、残るもの。そのどちらも抱きしめながら、頴娃町の時間は、今年も静かに、次の季節へとつながっていく。