子どもの頃は、地面をよく見て歩いていた。縁の下や空き地のすみに、黒い列をつくって動く小さなアリたちがいて、それは特別な光景ではなかった。いつの間にか、舗装された道路とコンクリートに囲まれ、その「当たり前」は、目に入らなくなっていった。見えなくなったのは、アリの姿だけではなく、足元で続いてきた時間そのものだったのかもしれない。
地球ドラマチック「アリの王国 命をつなぐ物語」は、そんな地面の下で今も続いている、ヤマアリのコロニーの一年を見つめる。春の食料探し、女王の産卵、幼虫の成長、そして夏の危機と外敵――それは特別な出来事ではなく、1億年以上繰り返されてきた、命の営みだ。
なぜアリは、これほど長い時間を生き延びてきたのか。その理由は、強さだけではない。見えない場所で続いてきた選択とつながりが、静かに、今も命を渡し続けている。
【放送日:2026年1月5日(月)13:10 -13:55・NHK-Eテレ】
<広告の下に続きます>
地面の下に広がる「王国」
私たちが歩く地面の下には、もうひとつの世界がある。それは偶然集まった集団ではなく、役割と秩序をもった「王国」だ。
ヤマアリのコロニーは、女王を中心に、働きアリたちが複雑な役割を分担して成り立っている。食料を探す者、巣を広げる者、幼虫の世話をする者。誰かが指示を出しているわけではない。それぞれが、状況に応じて動き、結果として全体が保たれている。
春になると、地面の下では準備が始まる。女王の産卵に備え、働きアリたちは外へ出て食料を探す。初夏、卵が産み落とされ、幼虫は仲間に守られながら育てられる。そして真夏。日照りや嵐といった環境の変化にさらされながらも、巣の内部では、静かに成長の時間が続く。
この王国にとって、外敵の存在もまた、特別な出来事ではない。サムライアリの襲撃は、幼虫を狙った脅威として繰り返されてきた。それでもコロニーは、崩れない。
誰か一匹の力ではなく、つながりそのものが、命を守ってきたからだ。地面の上では、舗装が進み、景色が変わっていく。けれど地面の下では、人の都合とは関係なく、季節に合わせた営みが続いている。この「王国」は、目立たず、声もなく、それでも確かに、1億年以上の時間を渡ってきた。その長さは、強さよりもまず、続け方を教えてくれる。
<広告の下に続きます>
春から夏へ、命をつなぐしくみ
春。
地面がゆるみ、気温が上がると、コロニーは目に見えない準備を始める。働きアリたちは巣の外へ出て、食料を探す。それは特別な号令によるものではない。環境の変化に応じて、それぞれが動き、結果として全体が整っていく。
初夏。
女王が産卵を始める。卵は幼虫へ、幼虫は仲間の世話を受けながら育っていく。働きアリたちは、食料を運び、体をなめ、位置を変え、成長の段階に合わせて役割を切り替える。ここでも、誰かが指示を出すわけではない。必要が生まれると、応答が起こる。それが、この王国の基本的なしくみだ。
真夏。
外の世界は過酷になる。日照り、豪雨、急激な気温の変化。だが巣の内部では、温度と湿度が保たれ、幼虫はさなぎへと姿を変えていく。成長は急がれない。環境が許す速度で、静かに進む。この季節の移ろいの中で、個々のアリは消耗し、やがて役目を終える。それでもコロニーは続く。命は、一匹の中に留まらず、関係の中を流れていくからだ。
春から夏へ。アリたちは、未来を計画するのではなく、いま起きている変化に応じ続ける。その積み重ねが、1億年以上という時間を、結果として生み出してきた。
<広告の下に続きます>
脅威と共存する――サムライアリの襲来
夏の盛り。地面の下で続いてきた穏やかな営みに、突然の緊張が走る。サムライアリの襲来だ。
サムライアリは、自分たちで子育てをしない。他のアリの巣を襲い、幼虫やさなぎを奪い、それを成長させて働き手とする。そのため、ヤマアリのコロニーにとって、サムライアリは避けられない脅威となる。
襲撃は、予告なく始まる。巣の入り口付近に現れた異質な動きに、働きアリたちは即座に反応する。防衛に回る者、幼虫を奥へ運ぶ者、それぞれが、迷いなく役割を選び取る。
この場面に、英雄はいない。誰か一匹の勇敢さが、王国を救うわけではない。あるのは、繰り返し経験してきた危機に対する、集団としての応答だけだ。時に、幼虫が奪われることもある。犠牲が出ることも、珍しくない。それでもコロニーは崩壊しない。すべてを守ることはできなくても、全体を維持する選択が、積み重ねられてきたからだ。サムライアリの存在は、単なる敵ではない。アリの世界においては、脅威もまた、環境の一部として組み込まれている。戦いは、終わりを告げることなく、毎年、形を変えながら繰り返される。それでもヤマアリの王国は、次の春を迎える準備を、静かに続けていく。
<広告の下に続きます>
死と誕生を繰り返す王国
ヤマアリたちは、次にいつサムライアリが来るのかを予測しない。未来のために備蓄し、計画を立てることもしない。それは、危機を想像する能力がないからではない。アリの王国は、個体の未来ではなく、関係の継続によって成り立っているからだ。
働きアリの寿命は、決して長くない。日々の仕事の中で消耗し、やがて役目を終える。だがその死は、王国の終わりを意味しない。
女王が産み、幼虫が育ち、新たな働き手が現れる。死と誕生は、途切れることなく重なり合い、コロニーという形を保ち続ける。この循環の中では、一匹一匹の成功や失敗は、長期的な意味を持たない。重要なのは、流れが止まらないことだけだ。
外敵に襲われ、命が奪われることがあっても、王国は次の季節へ進んでいく。備えがあるのではなく、繰り返しがある。恐竜の時代から、環境は何度も変わってきた。気候が揺れ、生態系が組み替えられても、アリたちは、その都度「適応し直す」ことを選ばなかった。ただ、生まれ、働き、つなぐ。その単純な営みを、絶えず繰り返してきただけだ。結果として、その積み重ねが、1億年以上という時間を、静かに渡らせてきた。
<広告の下に続きます>
足元の命を見つめるということ
私たちは、先のことを考えながら生きている。計画を立て、予測し、備え、失敗を恐れる。それは人間にとって、自然な時間の使い方だ。
一方で、アリたちは先を思い描かない。今日の気温に応じ、目の前の変化に応じ、必要な動きを重ねるだけだ。それでも、王国は続いていく。
舗装された地面の上を歩くとき、私たちは足元を見ない。かつて当たり前にあった空き地や縁の下は、いつの間にか姿を消した。それでも、地面の下では、小さな命の循環が今も続いている。考えなくても続く仕組み。それは、無計画という意味ではない。
一匹の未来に重心を置かず、つながりそのものを保ち続けるという選び方だ。人間は、アリのようには生きられない。だが、足元で起きている時間に目を向けることで、別の尺度が見えてくる。長く続くものは、必ずしも強く、賢く、速いわけではない。
静かに、同じことを繰り返し、途切れさせない。地面の下で続いてきた命の時間は、私たちに、「続くとはどういうことか」を問い返している。
<広告の下に続きます>
まとめ
舗装された地面の下で、アリたちは今日も、考えずに続いている。計画も予測もなく、ただ、生まれ、働き、つなぐ。その繰り返しが、結果として1億年以上の時間を渡ってきた。
強さではなく、賢さでもなく、途切れさせないという在り方によって。私たちは、先のことを考えずにはいられない。けれど、ときどき足元に目を向ければ、別の時間の流れが見えてくる。人は時に擬人化することを好む。しかしアリはあくまでもアリであってヒトではない。
小さな命が続けてきた営みは、「どう生きるか」ではなく、「どう続くか」を、静かに教えてくれている。