かつて山梨の農村では、家の中で蚕を育てる「養蚕」が暮らしの一部でした。桑の葉を食べて育つ蚕は、やがて繭をつくり、その糸は日本の近代を支えた生糸となります。
山梨県中央市で生まれ育った風間美智子さんも、幼い頃から家の蚕室(さんしつ)で蚕に桑の葉を与える手伝いをしていました。しかし時代の流れとともに養蚕は姿を消し、両親が残した蚕室は静かに時を止めていました。
定年を迎えた美智子さんが思い立ったのは、そんな蚕室をもう一度、人が集まる場所によみがえらせること。こうして生まれたのが、地元の食材を使った料理を楽しめる「蚕室カフェ」です。
学校給食の栄養士として長年働いてきた経験を生かし、ほうとうを使ったラザニアなど温かな料理を提供する美智子さん。両親の思い出が残る蚕室には、いま再び人々の笑顔が集まっています。
この記事では、テレビ朝日「人生の楽園」で紹介される山梨の蚕室カフェと、養蚕の記憶をつなぐ物語をたどります。
【放送日:2026年3月14日(土)18:00 -18:30・テレビ朝日】
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山梨に広がっていた養蚕文化とは?
かつて山梨の農村では、養蚕が暮らしの重要な仕事の一つでした。桑の葉を食べて育つ蚕は繭をつくり、その繭からとれる生糸は日本の主要な輸出品として世界へ運ばれていきました。
米作りだけでは現金収入が限られていた時代、養蚕は農家にとって貴重な収入源でした。山梨や群馬、長野といった山あいの地域では、春から夏にかけて家の中で蚕を育て、秋には繭を出荷するという生活が広く行われていました。
蚕を育てるために欠かせないのが桑の葉です。蚕はもはや人間に飼いならされた家畜と一緒で、自然界では生きていくことができません。そこで農家の周りには桑畑が広がり、収穫した桑の葉は蚕に与えるために丁寧に保管されていました。地域によっては洞窟や土蔵など涼しい場所を利用して桑を保存する工夫も見られます。
こうした養蚕の文化は、農村の家のつくりにも影響を与えました。蚕を育てるための専用の部屋――「蚕室」が家の中に設けられ、農家の生活と蚕の仕事は密接につながっていたのです。信州から山を越えた飛騨の合掌造りの家でも、1階が人間の居室、2階・3階が蚕室となっているのが普通でした。
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蚕室とはどんな建物?家の中にあった“養蚕の仕事場”
養蚕が盛んだった地域の農家には、蚕を育てるための専用の部屋「蚕室(さんしつ)」がありました。蚕は温度や湿度の変化にとても敏感な生き物のため、家の中に安定した環境をつくることが大切だったのです。
多くの農家では、家の2階や屋根裏の広い空間が蚕室として使われていました。風通しがよく、温度が比較的安定する場所が蚕を育てるのに適していたからです。そこには木の棚が並び、蚕が入った「蚕簿(さんぼ)」と呼ばれる台の上に桑の葉を与えながら大切に育てていました。
蚕は桑の葉しか食べません。
農家では近くの桑畑から葉を摘み取り、日に何度も蚕に与えて世話をします。蚕が成長するにつれて食べる量も増えていくため、家族総出で世話をすることも珍しくありませんでした。
やがて蚕は繭を作り、その繭は生糸の原料となります。こうして農家の家の中で育てられた小さな蚕たちが、日本の生糸産業を支えていたのです。
しかし時代の流れとともに養蚕は次第に姿を消し、多くの蚕室は使われなくなっていきました。
山梨県中央市に残る風間さんの蚕室も、かつては蚕の世話でにぎわっていた場所でしたが、養蚕の廃業とともに静かな空間となっていました。そんな蚕室をもう一度、人が集まる場所にしたい――。その思いから生まれたのが「蚕室カフェ」です。
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蚕とともに育った少女時代──風間美智子さんの記憶
風間美智子さんが育った山梨県中央市の家では、かつて養蚕が行われていました。農家にとって蚕は大切な存在であり、家族の暮らしの一部でした。幼い頃の美智子さんの記憶にも、蚕の世話をする日常が残っています。
桑の葉を摘み、蚕に与える。そんな手伝いをしながら、家族とともに養蚕の仕事を身近に感じて育ちました。蚕は桑の葉しか食べません。しかも成長するにつれて驚くほどたくさんの葉を食べるため、世話は毎日の大切な仕事でした。農家では家族総出で桑を摘み、蚕に与えながら繭ができるまで大切に育てていきます。
しかし、美智子さんの進路は養蚕ではありませんでした。進路に迷っていた美智子さんに、祖母のおときさんが勧めたのは「栄養士」という道でした。
その言葉をきっかけに、美智子さんは栄養士の資格を取得。学校給食の献立づくりや栄養管理に携わりながら、長年にわたり働き続けます。やがて結婚し、二人の子どもを育てながら忙しい日々を送りました。けれど心のどこかには、幼いころに見てきた蚕室の記憶が残っていたといいます。
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定年後の決意──眠っていた蚕室をカフェに
長年、学校給食の栄養士として働いてきた風間美智子さん。子育ても終え、60歳で定年を迎えたあとも、青少年センターの食堂などで働きながら忙しい日々を過ごしていました。けれど心のどこかには、いつも気になっている場所がありました。それが、実家に残されていた「蚕室」です。
かつて家族とともに蚕を育てていたその建物は、実家の養蚕が廃業されてから長いあいだ静かなまま残されていました。がらんとした空間を見つめながら、美智子さんは思ったといいます。
「もう一度ここを、人が集まる場所にできないだろうか」
幼いころ、家族とともに過ごした養蚕の記憶。そして長年続けてきた「食」に関わる仕事。その二つが結びついたとき、ひとつのアイデアが生まれました。
蚕室をカフェにする――。
両親から受け継いだ建物をリフォームし、2019年にオープンしたのが「蚕室カフェ かみず」です。

店名の「かみず」は、甲州の方言で「桑の実」を意味する言葉。かつて蚕を育てていたこの場所の記憶を、名前に残しました。静かだった蚕室は、再び人の声が集まる場所へと生まれ変わったのです。
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蚕室カフェ「かみず」の人気メニュー──ほうとうラザニアとは?
蚕室カフェ「かみず」を訪れた人たちの楽しみの一つが、ここでしか味わえないオリジナル料理です。なかでも人気を集めているのが、「ほうとうラザニア定食」。
山梨の郷土料理といえば、かぼちゃや野菜をたっぷり入れて煮込む「ほうとう」が有名です。幅広い麺を味噌仕立ての汁で煮込む素朴な料理で、山梨の家庭では昔から親しまれてきました。美智子さんは、このほうとうを新しい形で楽しんでもらおうと考えます。
そこで生まれたのが、ほうとうの麺をラザニア風に重ねて焼き上げる「ほうとうラザニア」です。もちもちとしたほうとうの食感に、チーズやソースのコクが重なり、どこか懐かしくも新しい味わいに。山梨の食材を生かした一皿として、訪れる人たちから評判を集めています。

長年、学校給食の献立づくりに携わってきた美智子さんにとって、「食」は人を元気にするもの。その思いは、蚕室カフェの料理にも息づいています。かつて蚕を育てていた建物の中で、今は人のための温かい料理が生まれているのです。
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人が集まる場所へ──蚕室カフェがつなぐ地域の時間
蚕室カフェ「かみず」は、今では地域の人たちが気軽に立ち寄る場所になっています。近所の人が昼ごはんを食べに来たり、家族連れがゆっくり食事を楽しんだり。観光で訪れた人が、山梨の家庭料理に出会う場所にもなっています。
蚕室カフェ かみず
- 山梨県中央市木原236−1
- TEL:090-1798-6903
- 営業時間:11:30~14:00
- 定休日:月・木曜
- URL:https://www.instagram.com/sanshitsucafe_kamizu/
かつてこの建物では、蚕を育てるために家族が集まり、忙しく働いていました。今はその場所にテーブルと椅子が並び、人の声や笑い声が響きます。「ここで食事をしてもらうことが、故郷への恩返しになるのではないか」そう語る美智子さんの思いは、訪れる人たちの時間の中で少しずつ形になっているようです。
甲府からもほど近く、中央自動車道の甲府南インターチェンジにも近い中央市。地元の人だけでなく、旅の途中に立ち寄る人にとっても、このカフェは温かい休憩場所になっています。かつて蚕の世話でにぎわっていた蚕室は、今では料理の香りと人の声が集まる場所へ。建物に刻まれた時間は、そのまま新しい物語へとつながっているのです。
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まとめ|養蚕の記憶がよみがえる「蚕室カフェ」
かつて日本の農村では、養蚕が暮らしを支える大切な仕事でした。桑の葉を摘み、蚕を育て、繭をつくる。その繭から生まれる生糸は、日本の産業を支える大きな力となっていきました。
時代が変わり、養蚕は多くの地域で姿を消しました。しかし、その記憶は建物や風景の中に静かに残っています。山梨県中央市にある「蚕室カフェ かみず」も、そんな場所のひとつ。かつて蚕を育てていた蚕室は、今では人が集まり、料理を囲みながら時間を過ごす温かな空間へと生まれ変わりました。
幼いころの養蚕の思い出と、長年続けてきた“食”の仕事。その二つを結びつけて生まれたこのカフェには、地域の時間と家族の記憶がそっと息づいています。蚕が糸を紡ぐように、人の暮らしもまた、ゆっくりと時間を紡いでいく。蚕室カフェ「かみず」には、そんな穏やかな物語が流れているのかもしれません。
