こんにちは鳥巣です。5/29のあさイチでは東京都北区にある「URまちとくらしのミュージアム」から中継されるようです。URは以前には”公団(日本住宅公団の略)”と呼ばれて「ウサギ小屋」と揶揄された日本の狭い集合住宅をたくさん作っていたところですが、当時の公団住宅事情はどうだったのでしょうか?
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昭和レトロな公団住宅の思い出は?
「団地」と聞くと「団地ともお」というマンガを思い出します。最初はマンガ週刊誌に連載されていましたが、のちにNHKでもアニメ化されて放送されていました。
最初から最後まで大したストーリーはなく、公団の団地に住んでいる小学校4年生の「木下友夫(ともお)」の平凡な日常を描いた物語でした。そんなマンガを見るとかつての昭和の団地の思い出が彷彿とします。
私も小学生になるまでは藤沢の公団の賃貸の団地に住んでいたことがあります。確か5階建(エレベーターなし)の3階の2DKの部屋で、窓は鉄サッシ(アルミではない)、風呂はユニットバスではなく木で作った風呂桶がありました。
鉄のサッシはアルミサッシのように静かに開け閉めできるものではなく、台風などで雨風が窓に吹き付けると雨水が部屋の中に浸水してきました。ですから台風前には鉄サッシの隙間に古新聞紙を詰め込んで防水対策が欠かせなかったものです。
今のマンションのような収納もほとんどなく、部屋の半分は洋服タンスだったような気がします。もっとも当時は持っている服も少なかったのかもしれません。
公団の団地はいわゆる「団地サイズ」で作られていて、畳の1畳(江戸間で191×95.5cm)の大きさも、団地間では170×85cmとやや小さくなっていました。京間と比べると1畳が0.37㎡も小さかったわけです。
2DKは4畳半と6畳に小さなダイニングキッチンの付いた間取りです。トイレは当時から流行り始めた”水洗トイレ”でした。下水道はなかったので浄化槽だったのだと思います。他の家に行くとほとんどが汲み取り式でしたからススんでいたのかもしれません。
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日本のダイニングキッチンは公団の団地から始まった?!
今ではマンションなどで当たり前になっているダイニングキッチン(DK)ですが、その起源は昭和30年(1955年)の公団住宅だったという説があります。
要するに”団地”の狭い家で、食事をするダイニングと台所(キッチン)を分けることができなかったので、キッチンの調理台と洗い場(シンク)の背後にテーブルと椅子を置いて、家族団欒を楽しめるよという発想から生まれたのではないでしょうか?
もっともその原型は戦前から海外(ドイツなど)には、ヴォーン・キュッへ(ドイツ語で、Wornraum[居間]とKuche[台所])という名前であったそうです。英語ならダイニング・キッチンですね。
戦前はどこの家でも女中さんがいるのが普通でしたから、女中さんが食事を作る台所と家族が食事をする今というのは分けてあるのが普通でした。戦後になって男女同権が叫ばれるようになって、女中さんがいなくても料理をする女性の奥さんが使いやすいキッチンにしなければダメだ、ということになったのでしょう。今だったら即ハラスメントですね。
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風呂桶も自前で用意しなければならなかった団地?!
当時のお風呂場やユニットバスではなく、コンクリートのタタキに湯船を置き、洗い場には木製にスノコが置かれていました。
のちに両親から聞いた話では、団地の風呂場には入居時には水道の蛇口しかなく、湯船も湯沸かし釜も自分で買ってきて備え付けなければならなかったのだそうです。当然は給湯器なんてありませんでしたからシャワーもありませんでした。
しかし台所には小型のガス給湯器を買ってきて取り付けている家もありました。食事の後の油で汚れた食器を冬の冷たい水と石鹸だけで洗うのは今でも大変です。考えただけでもゾッとします。
他にも玄関の外の階段の踊り場には「ダストシュート」というものがあって、家庭から出たゴミを投げ込むと1階の焼却炉まで落ちていく仕組みがありました。
1階に溜まった家庭ゴミはそのまま焼却炉で燃やされるので、煙突にもなっているダストシュートの内側はスス汚れで酷いことになっていたのではないでしょうか?
私が公団の団地に住んでいたのは幼稚園時代の数年間でしたし、物心ついてすぐだったので忘れてしまったことも多いと思います。それでもあの頃家にあった食器やガス炊飯器、マホー瓶やコップなどを見かけると、なんとなく懐かしいような気になってしまいます。それが私にとっての「昭和レトロ」なのかもしれません。
URまちとくらしのミュージアム
東京都北区赤羽台1丁目4−50
TEL:03-3905-7550
開館時間:10:00〜17:00
休館日:水・日曜・祝祭日・年末年始
URL:https://akabanemuseum.ur-net.go.jp/
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団地暮らしのまとめ
昭和レトロな公団住宅の思い出は?
私も小学生になるまでは藤沢の公団の賃貸の団地に住んでいました。5階建の3階の2DKの部屋で、窓は鉄サッシ、風呂はユニットバスではなく木で作った風呂桶がありました。
日本のダイニングキッチンは公団の団地から始まった?!
今ではマンションなどでは当たりのダイニングキッチン(DK)ですが、その起源は昭和30年(1955年)の公団住宅だったといいます(諸説あり)。要するに”団地”の狭い家で、食事をするダイニングとキッチンを分けることができなかったので、キッチンの調理台とシンクの背後にテーブルと椅子を置いて一体化させたのではないでしょうか?
風呂桶も自前で用意しなければならなかった団地?!
当時のお風呂場やユニットバスではなく、コンクリートのタタキに湯船を置き、洗い場には木製にスノコが置かれていました。団地の風呂場には入居時には水道の蛇口しかなく、湯船も湯沸かし釜も自分で買ってきて備え付けなければならなかったといいます。当然は給湯器なんてありませんでしたからシャワーもありませんでした。