こんにちは鳥巣です。1/14のあさイチでは長野県伊那市から寒天作りが中継されるようです。寒天は、海にある海藻の天草から作られる”心太(ところてん)”が原料ですが、なぜ海のない長野県で寒天作りが行われるようになったのでしょうか?その歴史と寒天の健康効果について調べてみました。
海のない長野県でどうして100年前から寒天作り?
寒天ができたのは江戸時代だといわれています。1658年頃のある冬のこと、京都の旅館の主人が心太(ところてん)を屋外に置き忘れてしまいました。
その心太は京都の夜中の寒さで凍ってしまい、朝になると日中の日差しで溶けて水分が抜け、気が付くと干物のようになっていました。それを見た主人は仕方なく、その干物のようになった心太を煮て溶かしてから、冷やし固めてみました。
すると、いつものところてんより嫌な匂いがしない、透き通ったところてんが出来上がったのだそうです。この干物が「寒天」です。
では「寒天」という名前はなぜ付いたのでしょうか?これには京都の宇治の高名なお坊さんが関係しているといいます。このお坊さんは、隠元隆琦禅師といい、当時日本に伝わってきたばかりだった、いんげん豆を命名したことでも有名です。
ある日、隠元禅師は、寒天を食べて「仏に仕える者の食べ物として清浄でこれに勝るものなし」と褒め称えたのだそうです。しかし当時はできたばかりで名前がなかったので、中国で「冬の空」や「寒冬」を意味する漢語の「寒天」という言葉とその製法から、「寒晒心太(かんざらしところてん)」の意味を込めて「寒天」と命名したと言われています。
しばらくは関西地方で製造されていた寒天の技術を信州に伝えたのは、諏訪の行商人である小林粂左衛門(こばやし くめざえもん)でした。
1840年頃に丹波(現在の京都、兵庫辺り)で寒天の製造法を見た粂左衛門は、「これは雪や雨が少なく乾燥気候で、冬が長く寒さが厳しい南信州(現在の諏訪地方)の農家の副業にぴったりだ!」と思いつき、この製法を学んで持ち帰りました。最初は、原料となる海藻の天草は大阪方面から買っていましたが、やがて伊豆から買うようになります。
信州の寒天づくりが大きく発展したのは明治38年(1905年)、中央本線の開通だといわれています。原料の運搬がしやすくなった上に、天草や寒天の運賃がそれまでの約1/6分になったことが寒天の生産に拍車をかけ、やがて寒天は信州の名産品と呼ばれるようになりました。
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寒天は食物繊維が豊富で美肌効果も?!
寒天にはテングサなどから作られる、植物性の食物繊維が豊富に含まれています。寒天の食物繊維含有量は100g中に79.0g(「日本食品標準成分表2020年版(八訂)」より)で、なんとゴボウの13.8倍、サツマイモの36倍も含まれています。
食物繊維は、便通を整えて便秘を防ぐうえで欠かせないものです。 また、脂質・糖・ナトリウムなどを吸着して身体の外に排出する働きがあるため、これらを摂り過ぎることによって引き起こされる肥満や脂質異常症(高脂血症)・糖尿病・高血圧など生活習慣病の予防・改善にも効果が期待できます。(参考資料「厚生労働省・e-ヘルスネット」より)
また腸内細菌のバランスを整える効果もあるといわれ、食物繊維を摂ることで便秘の改善効果もあるといわれ、そのことで結果的に美肌効果に繋がるという研究もあるようです。なんといってもほとんどカロリーがないため、ダイエットにも効果があると、近年注目されている食材です。
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まとめ
海のない長野県でどうして100年前から寒天作り?
関西地方で製造されていた寒天の技術を信州に伝えたのは、諏訪の行商人である小林粂左衛門(こばやし くめざえもん)でした。1840年頃に丹波(現在の京都、兵庫辺り)で寒天の製造法を見た粂左衛門は、「これは雪や雨が少なく乾燥気候で、冬が長く寒さが厳しい南信州(現在の諏訪地方)の農家の副業にぴったりだ!」と思いつき、この製法を学んで持ち帰ったといいます。やがて寒天は信州の名産品と呼ばれるようになりました。
寒天は食物繊維が豊富で美肌効果も?!
寒天にはテングサなどから作られる、植物性の食物繊維が豊富に含まれています。寒天の食物繊維含有量は100g中に79.0gで、なんとゴボウの13.8倍、サツマイモの36倍も含まれています。また食物繊維は腸内細菌のバランスを整える効果もあるといわれています。食物繊維を摂ることで便秘の改善効果もあるといわれ、そのことで結果的に美肌効果に繋がるという研究もあるようです。なんといってもほとんどカロリーがないため、ダイエットにも効果があると、近年注目されている食材です。