岐阜和傘の歴史と伝統やデザインと色彩の魅力とは?【あさイチ】

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こんにちは鳥巣です。12/10のあさイチでは、岐阜市から和傘が中継されるようです。今では、普段から和傘を使う機会はほとんどありませんが、その伝統や歴史的な背景、デザインの生まれた意味にも興味があるので調べてみました。(当日は国会中継のため放送はありませんでした)

和傘の歴史をたどる、日本伝統工芸が生まれるまでの物語

岐阜市加納で作られている岐阜和傘の歴史は古く、370年以上といわれています。370年前といえば江戸時代初期ですが、それまでは日本に傘というものはなかったのでしょうか?

テレビの時代劇など見ていても、江戸時代には普通の庶民も傘をさしている場面はよく見かけます。それもそのはず、平安時代には和紙に油を塗って防水性をもたせ、さらに開閉もできる「和傘」がつくられるようになっていたといいます。

それ以前にも、雨や雪、直射日光などが当たらないように頭に被る道具としての「かさ」が日本で最も古くに登場したのは、「かぶりがさ」として知られる笠です。 古くは「日本書紀」にも登場し、古墳時代には笠をかぶった埴輪なども残されているそうです。

材料には、イグサ、ヒノキ、竹などが使われ、現在も屋外の労働に、雨や日除けとして広く、東南アジア各地でも使用されています。 一方で、軸を中心に頭の上に広げる「傘」が日本に伝来した時期については詳しくわかっていませんが、古墳時代の後期、欽明天皇の時代には、百済から仏具の傘(天蓋)が日本に献上されたという記録があります。

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岐阜市が和傘製造の全盛期であった明治・大正・昭和の始めには、加納地区のほとんどの世帯が和傘業に何らかの形で従事していましたといいます。しかし洋傘が普及するようになって需要が急激に減少し、全国一の生産数を誇る岐阜でも、和傘問屋は3軒に残るのみとなりました。

岐阜の和傘の歴史は、寛永16年(1639年)にさかのぼります。その当時、松平丹波守光重が加納藩主となって、明石(兵庫県)から傘職人を連れてきたことが始まりといわれています。

その後、宝暦6年(1756年)に加納藩主となった永井伊賀守尚陳が、下級武士の生計を助けるために和傘づくりを奨励したことで、地場産業として基礎を確立しました。映画「子連れ狼」のちゃん(ちちおや)も傘張り内職をしていました(笑)

江戸時代には武士の内職として奨励され、多様な和傘が生産されてきました。しかし終戦後の昭和20年代半ばには年産100万本を超える生産数を誇りましたが、洋傘の普及や後継者不足などにより衰退してしまいました。

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日常で使える和傘、普段使いでも魅力的なデザインの選び方

和傘って素敵だな、と思っていても自分で実際に使うイメージが湧かない人は多いと思います。では普段の生活の中で見た和傘の魅力にはどんなものがあるのでしょうか?

  • 華やかな色に包まれる
  • 通り過ぎる人が振り返る
  • 雨の音やさすときの音、油の香り

などがあるのかなと思います。

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華やかな色に包まれる

本物を一度手に取ってみると、開いた瞬間に美しい空間がパッと広がります。柄物の傘なら、まるで万華鏡の中に入ったようです。布を張った洋傘やビニール傘とは違う、和紙だからこその光の拡散がきれいです。雨傘は、和紙に防水のための油を塗ってあるので、雨の日でも十分透け感を楽しめます。

和傘(出典:長良川STORY)
華やかな和傘(出典:長良川STORY)
通り過ぎる人が振り返る

着物を着た日に、すれ違う人々の視線を感じて、ちょっとした優越感を感じることがありますかもしれません。あの感覚です。雨の日には特に、着物は気軽に着られなくても、和傘ならどんな洋服の日でも、コーディネートのポイントになります。

和傘は決して安いものではありませんが、コートやバッグと同じくらいの値段で、日々使うと思えば、元はとれそうです。普段は多くの人が使わない和傘をさしていることで、コミュニケーションのきっかけにもなりそうです。

雨の音、さすときの音、油の香り

ぱらん、ぱらん という、和紙に落ちる雨の音や、傘を開いたときのハジキ(止具)のポンッという音。エゴマ油、アマニ油といった、昔ながらの油の香りや竹に塗られた漆の感触などに、古き良き日本の風情を感じられて、背筋がしゃんとするのではないでしょうか?

和傘をさす女性(出典:長良川STORY)
和傘をさす女性(出典:長良川STORY)

また台風の翌日などには、街角にビニール傘が捨ててある光景はよく目にします。「傘、すぐなくしちゃうんだよね」などと開き直らずに、いいものを長く持つ精神の豊かさを感じられるかもしれません。そしてなによりも、憂鬱な雨の日が楽しみになる気がします。

色、音、感触。和傘でしか体感できない楽しみがあると思います。「あーまた雨か」、と思う残念な気持ちを和傘をさすというシチュエーションが、いつもは憂鬱な雨の日をちょっと楽しみにしてくれるかもしれません。洋服の日も気軽に和傘を使えば、さりげなくかっこいい大人に見えるかもしれません。公式サイトではネット通販なども行っているようです。

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和傘の保管や防水加工は?

和傘の雨傘の和紙には、エゴマ油、亜麻仁油、桐油などの上質な乾燥しやすい油を使うことで和紙に耐水性が生まれ、水に濡れても大丈夫な和紙(油紙)になります。これを長く使い続けるためにはいくつかの注意点があります。

  • 箱などに入れて大事にしまわないで、まずは締め輪をはずして、風通しの良いところにぶら下げて保管してください。
  • 傘を立て掛ける際、手持ちを下、頭を上にしてください。
  • ご使用後は半開きにして、陰干しで乾燥させてください。
  • 濡れている傘の頭の部分を強く握らないようにしてください。
  • しばらくご使用にならないと、油が固まり和紙がくっつき合い 離れにくくなる場合があります。そんなときは無理に開こうとしないで、ドライヤーなどの温風であたためてから、 手元を回しながらゆっくりと開いてください。
  • 風の強い日にはなるべく使わない方がいいと思います。

そうすれば普段使いでも、5年以上は使えると思います。ただ和傘の雨傘は、防水加工のために油を引いてあります。年数がたって和紙が劣化し、油の硬化作用でパリパリに破れてしまうと使用できませんので、インテリアとして買ったものでも、年に数回は定期的に風通しさせるなどして、お手入れをすることが肝心です。

また和傘は防水仕上げに油を引いているので、時間の経過とともに和紙が淡黄色(亜麻色)に色づいてきます。この変化は油の特製によるもので、「枯れる」といいます。特に番傘はよく枯れたものが好まれます。

和傘CASA

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まとめ

和傘の歴史をたどる、日本伝統工芸が生まれるまでの物語

岐阜市加納で作られている岐阜和傘の歴史は古く、370年以上といわれています。その後、宝暦6年(1756年)に加納藩主となった永井伊賀守尚陳が、下級武士の生計を助けるために和傘づくりを奨励したことで、地場産業として基礎を確立しました。江戸時代には武士の内職として奨励され、多様な和傘が生産されてきました。

和傘の保管や防水加工は?

和傘の雨傘の和紙には、エゴマ油、亜麻仁油、桐油などの上質な乾燥しやすい油を使うことで和紙に耐水性が生まれ、水に濡れても大丈夫な和紙(油紙)になります。これを長く使い続けるためにはいくつかの注意点があります。「箱などに入れて大事にしまっておかず、締め輪をはずして、風通しの良いところにぶら下げて保管」したり、「傘を立て掛ける際、手持ちを下、頭を上」にするなどしてください。また使った後は半開きにして、陰干しで乾燥させてください。

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