指宿は巨大カルデラだった?!どうして温泉だらけなの?【ブラタモリ】

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こんにちは鳥巣です。3/9のブラタモリでは鹿児島の指宿が特集されるようです。鹿児島(錦江)湾は南北に長い形をしていますが、桜島を含むこの形は、実はこれは3つのカルデラが連なっているためにできた地形です。鹿児島湾の奥から桜島のある姶良(あいら)カルデラ、阿多北部ラルデラ、阿多南部カルデラと並んでいて、今回の指宿は一番南の「阿多南部カルデラ」に含まれます。

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指宿は火山フロント?!

九州の大分から阿蘇、霧島連山、薩摩湾を結ぶラインは、太平洋のフィリピン海プレートが、大陸のユーラシアプレートの下に潜り込む境界から100〜200kmの距離にあって、プレートの地殻が地下深くでマグマになって上昇してくる、「火山フロント」と場所にあたります。

火山フロント(「西方浄土筑紫嶋」サイトより)
火山フロント(「西方浄土筑紫嶋」サイトより)

そのため、この線の付近には火山が多く、温泉もたくさん湧き出しているわけです。関東や東北でも、山形県や群馬・長野県に温泉が多いのもそんな理由です。

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鹿児島湾(錦江湾)は南北に長い入江ですが、これは縦に連なった3つのカルデラの痕跡です。鹿児島湾の奥から「姶良カルデラ」「阿多北カルデラ」「阿多南カルデラ」と連なっていて、指宿は「阿多南カルデラ」に含まれます。

阿多南部カルデラ(「指宿まるごと博物館」公式サイトより)
阿多南部カルデラ(「指宿まるごと博物館」公式サイトより)

カルデラ北側のラインには外輪山の痕跡として巨大な絶壁が残っていて、指宿の絶景の一翼を担っています。

地図を拡大するとカルデラの東側は鹿児島湾まで続いて海に落ち込んでいます。また九州で一番大きな池田湖は、24万年前に活動した阿多南カルデラの中にある二重カルデラで約5700年前に誕生しました。

24万年と比べると5700年前は縄文時代ですから、かなり新しいカルデラです。最深部は233mで日本で4番目に深い湖です。一頃は恐竜の「イッシー」が住んでいると話題になったこともありました。

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西郷隆盛は鰻温泉がお気に入りだった?!

池田湖の東にある鰻池の近くには「鰻温泉」という温泉があります。幕末の西郷隆盛は温泉好きだったことで有名ですが、中でもこの鰻温泉を特に愛したといわれています。

Googleマップより
Googleマップより

幕末の志士で日本近代の司法制度の基礎を築いた佐賀の江藤新平と江藤新平の会談も鰻温泉で行われ、最後は西郷が江藤を指宿の港まで送って行ったといわれています。

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鰻温泉(「指宿まるごと博物館」公式サイトより)
鰻温泉(「指宿まるごと博物館」公式サイトより)
鰻温泉にある西郷さんの像(「指宿まるごと博物館」公式サイトより)
鰻温泉にある西郷さんの像(「指宿まるごと博物館」公式サイトより)

ここにある鰻池は、地下のマグマと地下水が反応して水蒸気爆発でできた爆裂火口(マール)です。ですから同じ時期にできたカルデラ湖である池田湖とはでき方が違っていて、最大水深は60mほどです。

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開聞岳は薩摩富士?!

開聞岳はその独特の美しい形から「薩摩富士」と呼ばれています。阿多南カルデラの外輪山の一部にありますが、出来た年代は新しく4400〜1000年前、平安時代くらいまでとかなり最近まで活動していたようです。

開聞岳(写真協力:公益社団法人 鹿児島県観光連盟)
開聞岳(写真協力:公益社団法人 鹿児島県観光連盟)

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開聞岳の東山麓にある川尻海岸の黒いビーチには,“オリビン”と呼ばれる宝石が眠っています。ペリドットとも呼ばれます。和名はカンラン石で、8月の誕生石でもあります。

約3700年前,開聞岳の噴火でオリビンを含む岩石が噴出され,長い年月の間に岩石が風化して川尻海岸ができました。比重の軽い砂粒は流されましたが、比重の重いオリビンは波打ち際に残っています。きらきらとあめ色に輝く“火山の宝石”オリビン。石言葉は「幸福」・「友愛」・「夫婦の愛」です。

オリビン
オリビン(「指宿まるごと博物館」公式サイトより)

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指宿のまとめ

指宿は火山フロント?!

九州の大分から阿蘇、霧島連山、薩摩湾を結ぶラインは、太平洋のフィリピン海プレートが、大陸のユーラシアプレートの下に潜り込む境界から100〜200kmの距離にあって、プレートの地殻が地下深くでマグマになって上昇してくる、「火山フロント」と場所にあたります。指宿もその一部にあたるので付近には多くの火山が見られます。

西郷隆盛は鰻温泉がお気に入りだった?!

池田湖の東にある鰻池の近くには「鰻温泉」という温泉があります。幕末の西郷隆盛は温泉好きだったことで有名ですが、中でもこの鰻温泉を特に愛したといわれています。幕末の志士で日本近代の司法制度の基礎を築いた佐賀の江藤新平と江藤新平の会談も鰻温泉で行われ、最後は西郷が江藤を指宿の港まで送って行ったといわれています。

開聞岳は薩摩富士?!

開聞岳はその独特の美しい形から「薩摩富士」と呼ばれています。阿多南カルデラの外輪山の一部にありますが、出来た年代は新しく4400〜1000年前、平安時代くらいまでとかなり最近まで活動していたようです。開聞岳の東山麓にある川尻海岸の黒いビーチには,“オリビン”と呼ばれる宝石が眠っています。和名はカンラン石で、8月の誕生石でもあります。

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