「小泉八雲」と聞くと、多くの人はまず、『怪談』や『耳なし芳一』を思い浮かべるかもしれない。けれど松江では、彼は今も少しちがう名前で親しまれている。
「ヘルンさん」。
どこかやわらかく、少し親しみのにじむその呼び方には、この町が彼を単なる“外国人作家”としてではなく、もっと近しい存在として受け入れてきた時間が宿っているように思う。
『よみがえる新日本紀行』「ヘルンの面影 ~島根県松江~」は、そんな呼び名が今も残る町で、小泉八雲が見つめ、愛し、そして松江の人々にも愛された風景をたどる旅だった。
八雲が暮らした屋敷。怪談の舞台となった寺社。彼が教えた学校と、そのつながりを今に伝える人々。そこに残っていたのは、“偉人の足跡”というよりも、もっと静かでやわらかな誰かの記憶の中に生き続ける面影だったのかもしれない。
昭和47年の映像が映し出した松江と、54年後の今の松江。そのあいだにも町は変わり、人の暮らしも移り変わってきたはずなのに、それでもなお「ヘルンさん」という呼び名が残っている。それはきっと、この異邦人がただ“この町を見た人”ではなく、この町の心に、ちゃんと触れた人だったからなのだろう。
今回の放送は、そんなヘルンの面影が、今もなお松江の風景と人々の中に息づいていることを、静かに教えてくれる時間だった。
【放送日:2026年3月31日(火)15:30 -16:08・NHK-BSP4K】
【放送日:2026年4月1日(水)9:45 -10:25・NHK-BS】
<広告の下に続きます>
松江の町に残る“ヘルンさん”の気配|異邦人が愛された風景
松江の町には、どこか人を急がせない空気がある。堀川の水面、古い町並み、寺や神社のたたずまい。それらはただ“昔のもの”として残っているのではなく、今もなおこの町の呼吸の中に溶け込んでいるように見える。
だからなのかもしれない。この町では、小泉八雲はどこか遠い時代の偉人というより、もっと近く、もっと静かな存在として思い出されている。「ヘルンさん」という呼び方が、妙にしっくりくるのもそのためだろう。
外国からやってきた異邦人でありながら、この町の風景の中にすっとなじんでしまうような気配。それは、彼がただ松江を“見た”のではなく、この町の空気を胸いっぱいに吸い込み、そこに流れる時間を、丁寧に受け取っていたからなのかもしれない。
『よみがえる新日本紀行』が映し出した昭和47年の松江も、54年後の今の松江も、もちろん同じではない。人の暮らしは変わり、町のあり方も少しずつ移り変わってきただろう。それでも、この町にはなお“ヘルンさん”の面影を感じさせる何かが残っていた。
それは、屋敷や町並みといった目に見えるものだけではない。水辺にたまる静けさや、少し影を帯びた路地の気配、寺社の境内に残る言い伝えのようなものまで含めて、松江という町そのものが彼の感受性とどこか深いところで響き合っているように見えるのだ。
怪談の町として知られる松江。けれどこの町の魅力は、単に“怖い話が似合う”ことではないのだろう。もっと静かで、もっと奥行きのある人の気配や記憶の層が、町のあちこちに残っている。八雲が心を寄せたのも、きっとそういう見えないものの手触りだったのではないだろうか。
松江の風景を見ていると、彼がこの町に惹かれた理由が、少しだけわかる気がする。そして同時に、この町の人たちが今もなお彼を「ヘルンさん」と呼びたくなる気持ちも、少しだけ見えてくるような気がするのだ。
<広告の下に続きます>
なぜ彼は“ヘルンさん”になったのか?|松江の人々と結ばれた時間
異国からやってきた人が、ある町に深く受け入れられることは、そう簡単なことではない。まして明治という時代であれば、今よりずっと“外から来た人”への距離も大きかったはずだ。それでも松江では、小泉八雲は今もなお「ヘルンさん」と呼ばれている。
彼の母国名は”Patrick Lafcadio Hearn”である。当時の日本では外国語のスペルをローマ字風に発音することがあった。そこから「Hearn」→「ヘルン」と呼ばれるようになったのかもしれない。
そこにはきっと、彼がこの町にただ“滞在した”のではなく、ちゃんと暮らし、ちゃんと人と向き合った時間があったのだろう。八雲にとって、松江は単なる赴任先ではなかった。
ここで彼は、妻となるセツと出会い、家庭を持ち、日本での暮らしを深く知っていくことになる。セツの存在は、彼にとって日本を理解するための大切な窓だったのかもしれない。
けれどそれは、一方的に“教えてもらう”関係ではなく、八雲が心からこの土地の言葉や習慣、人々の感覚に耳を傾けていたからこそ成り立っていたもののようにも思える。
そして彼は、松江中学の教師として、若い生徒たちとも向き合った。“異国の先生”でありながら、どこか気取らず、人の心の動きに敏感だった彼は、生徒や同僚たちにとってもただ珍しい外国人ではなかったのではないだろうか。
本当に好きな人ほど、日本人はときどき少しだけ距離の近い呼び方をすることがある。偉人として持ち上げるよりも、どこか“うちの人”のようにやわらかく呼ぶ。そういう意味で、「ヘルンさん」という呼び方は、松江の人たちが彼を自分たちの中に迎え入れた証なのかもしれない。
彼はこの町の人々を、上から眺めるようには見なかった。むしろ、暮らしの中にある小さなこと、人々の語る言い伝えや、目には見えない気配のようなものに深く心を寄せていた。そのまなざしはきっと、松江の人たちにもちゃんと伝わっていたのだろう。
人は、自分たちのことを本当に大切に見つめてくれた相手のことを、案外忘れない。それがたとえ異国から来た人であっても、いや、異国から来た人だったからこそ、なおさら心に残ったのかもしれない。“ヘルンさん”という呼び名の奥には、そんな静かな信頼と親しみが、今もまだやさしく息づいているように思える。
<広告の下に続きます>
怖い話の奥にあったもの|怪談に託された松江の記憶
小泉八雲といえば、やはり多くの人が怪談を思い浮かべる。けれど彼が惹かれていたのは、単に“怖い話”そのものではなかったのだろう。むしろその奥にある、人々が長い時間をかけて語り継いできた記憶のかたちに、深く心を動かされていたのではないだろうか。
朝ドラの最後にも語られていたが、KWAIDAN(怪談)が世界でベストセラーになったのは、ヘルンさんや妻のセツさんが亡くなったあとのことだ。
松江には、寺や神社、古い路地や水辺のたたずまいの中に、昔からの言い伝えが静かに息づいている。それは、歴史としてきっちり記録されたものばかりではない。
けれど、「この場所には、こういう話がある」「昔、こんなことがあったと言われている」といった語りは、町の空気の中にたしかに残り続けてきた。八雲が耳を傾けたのは、そういう人から人へと手渡される、目に見えない記憶だったのだと思う。
怪談とは、ただ人を驚かせたり怖がらせるための物語ではない。ときにはそこに、死者への思いがあり、土地への畏れがあり、説明のつかない出来事を何とか受け止めようとする人々の心の働きが刻まれている。だからこそ八雲は、怪談の中にその土地の人々の感情や信仰、そして暮らしの深い部分を見ていたのかもしれない。
今回の放送で紹介された松江のゴーストツアーも、ただ「怖い話を聞いて終わる」ものではなかった。語り部は、寺社の由緒や土地の背景を丁寧に伝えながら、その怪談の奥にある意味まですくい取ろうとしていた。
それはまるで、八雲がかつてこの町で耳を澄ませたことを、今の時代にもう一度やさしく引き継いでいるようにも見える。怪談を“消費する”のではなく、そこに込められた記憶や感情をもう一度受け取ろうとすること。それはきっと、この町が今もなお“ヘルンさん”のまなざしをどこかで受け継いでいるということなのだろう。
怖い話の奥には、いつも人の気配がある。松江という町は、そうした気配をただ過去のものとして片づけず、今もそっと抱きしめるように残している。
だからこそ八雲の怪談は、文学としてだけでなく、この町の記憶を映すもうひとつの風景として、今も静かに生きているのかもしれない。
<広告の下に続きます>
町が受け継ぐ“面影”とは?|今も続く松江の記憶の守り方
面影とは、目に見えるものだけでできているわけではない。古い屋敷や町並み、寺社や路地の風景は、たしかに過去を今に伝えてくれる。けれど本当に人の心に残る“面影”は、そうした建物や景色の奥にある記憶の受け渡しによって生き続けるものなのかもしれない。
松江には、小泉八雲が暮らした屋敷が残されている。そこに立てば、彼がこの町で見ていた光や影、耳を澄ませていた気配に、少しだけ近づけるような気がする。けれど今回の放送が印象的だったのは、そうした“ゆかりの場所”を残すことだけが、面影を守ることではないと感じさせてくれたことだった。
たとえば、八雲が教えていた松江中学の同僚である西田千太郎(朝ドラ「ばけばけ」では錦織[にしこおり]・演:吉沢亮)の旧居を残そうとする動き。それは一見すると、小泉八雲その人から少し外れた話のようにも見える。けれど実はそこにこそ、町が記憶をどう守ろうとしているのかがよく表れているように思う。
人の記憶は、ひとりだけでできているわけではない。誰かが生きた時間のまわりには、必ずその人と関わった家族や同僚や友人がいて、そのつながりの中でひとつの時代や空気が形づくられていく。
だから、八雲だけを切り取って残すのではなく、その周囲にあった人々や場所まで含めて受け継ごうとすることは、とても誠実な“記憶の守り方”なのだろう。それは、ただ「有名人ゆかりの地」を保存することとは少しちがう。もっと静かで、もっとあたたかい。この町で確かに息づいていた人と人との時間の物語ごと、残そうとしているように見えるのだ。
そして松江には、そうした記憶をただ展示物のように並べるのではなく、語り、案内し、今の人の言葉で手渡そうとする人たちがいる。ゴーストツアーの語り部も、保存活動に関わる人たちも、きっと同じ場所を見つめているのだろう。
それは、過去をそのまま凍らせて守ることではなく、今を生きる人の手の中で、もう一度意味を持たせながら受け継いでいくことなのだと思う。“面影”は、残そうと思わなければ、静かに消えていく。けれど反対に、誰かがそれを大切だと思い、語り継ぎ、守ろうとするとき、面影は不思議なほど長く生き残る。
松江という町が今も“ヘルンさん”を呼び続けているのは、そうやって人の記憶をやさしく手渡していく力が、この町にまだ残っているからなのかもしれない。
<広告の下に続きます>
面影はなぜ残るのか?|松江が今も“ヘルンさん”と呼び続ける理由
人の面影が長く残るのは、その人が有名だったから、というだけではないのだろう。本当に人の心に残るのは、その人がどんなふうにその土地を見つめ、そこに生きる人たちとどう関わったかということなのかもしれない。
小泉八雲は、松江を外から眺めるだけの異邦人ではなかった。この町の風景に目を留め、人々の言葉に耳を澄まし、語り継がれてきた話の奥にある見えないものの気配に、静かに心を寄せていた。そして松江の人たちもまた、そんな彼のまなざしをちゃんと受け取っていたのだろう。
人は、自分たちのことを本当に大切に見つめてくれた相手のことを、案外忘れない。それがたとえ異国から来た人であっても、その人がこちらの心にちゃんと触れてくれたのなら、やがて“よそ者”ではなくなっていく。
「ヘルンさん」という呼び方には、そんな松江のやさしい受け入れ方がにじんでいるように思える。偉人として遠くに置くのではなく、少し親しみをこめて、まるで昔からこの町にいた人のように呼ぶこと。それはきっと、松江の人たちが彼を自分たちの中に迎え入れた証なのだろう。
そしてその呼び名が今も残っているのは、屋敷や寺社や古い町並みだけでなく、語り部や保存活動に関わる人たち、町を歩く人々のまなざしの中に、彼の面影がまだ静かに生き続けているからなのだと思う。
面影とは、過去がそのまま残ることではない。むしろ、今を生きる誰かの心の中で、何度でもやわらかく思い出されること。そう考えると、“ヘルンさん”は今もなお、松江という町のどこかで静かに生きているのかもしれない。
『よみがえる新日本紀行』「ヘルンの面影 ~島根県松江~」は、そんなことを、古い映像と今の町の風景のあいだからそっと教えてくれる時間だった。
<広告の下に続きます>
あとがき|松江とヘルンさんの面影に
『よみがえる新日本紀行』「ヘルンの面影 ~島根県松江~」は、小泉八雲というひとりの異邦人が、なぜ今も松江で「ヘルンさん」と親しみをこめて呼ばれ続けているのかを、静かに見つめる時間だった。
怪談の町として知られる松江。けれど今回の放送が映していたのは、怖い話の舞台としての町ではなく、誰かのまなざしや記憶をやさしく受け止め続けてきた町の姿だったように思う。
八雲が愛した風景、耳を澄ませた言い伝え、セツや人々との暮らし、そして今もそれらを語り継ごうとする人たち。そうしたものが幾重にも重なって、松江には今も“ヘルンさん”の面影が残っているのだろう。
面影とは、建物や名前だけに宿るものではない。誰かを思い出す呼び方や、その人の見つめていたものを今も大切にしようとする気持ちの中にこそ、静かに生き続けるものなのかもしれない。
だからこそ松江では、小泉八雲は今もなお“遠い偉人”ではなく、少し親しみのある「ヘルンさん」として、町の風景と人々の心の中に息づいているのだろう。今回の放送は、そんなやわらかな面影に、そっと触れさせてくれる旅だった。