春を待つ里に、まだ“結”は息づいている|五箇山で出会う人のつながり【小さな旅】

屋根の葺き替えをする老人と若者 BLOG
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雪がゆっくりとほどけはじめるころ、山あいの里に、静かな春が訪れる。
富山県南砺市・五箇山。合掌造りの家々が並ぶこの場所では、人びとが手を取り合いながら、長い時間を重ねてきた。

屋根をふくとき、ひとりではできない仕事を、みんなで支え合う。その営みは「結(ゆい)」と呼ばれ、暮らしの中に、当たり前のように息づいてきた。

やがてこの里は、世界遺産となり、多くの人が訪れる場所になった。にぎわいの向こうで、変わってしまったものも、きっとあるのだろう。それでも――

雪解けの水の音に耳を澄ませると、ここにはまだ、人と人とがつながるやさしい時間が、確かに残っているように思える。春を待つ里に、“結”は、いまも息づいているのだろうか?

【放送日:2026年3月29日(日)8:00 -8:25・NHK-総合】

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雪解けの合掌集落|春を待つ五箇山の風景

春は、いつも一度にやってくるわけではない。五箇山の春もまた、雪が少しずつほどけていくところから、静かに始まっていく。

山あいに寄り添うように、合掌造りの家々が並ぶ風景。深い雪に耐えてきた屋根は、まだ冬の名残を抱えながら、やわらかな光を受けている。その姿は、いかにも“日本の原風景”として人を惹きつける美しさを持っている。

だからこそ、いまでは多くの人がこの地を訪れ、”世界遺産の里”として知られるようになった。けれど、この場所の魅力は、ただ「美しい景色があること」だけではないのだと思う。

家があり、暮らしがあり、人がいる。雪の重みに耐えるための知恵も、春を待ちながら日々をつないでいく感覚も、すべてはこの里で生きてきた人たちの時間の中から生まれてきたものだ。

五箇山の風景は、ただ残された景色ではなく、人の営みの上に、静かに立ち続けている。だから雪解けの季節にこの里を歩くと、その静けさの奥に、目には見えない“つながり”の気配が、そっと感じられるような気がする。

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“結(ゆい)”という暮らし|支え合いで守られてきた屋根

五箇山の合掌造りを見ていると、まず目を引かれるのは、あの大きく、深く傾いた茅葺きの屋根だ。雪の重みに耐えるために生まれたそのかたちは、風景の美しさとして語られることも多い。けれど本当は、あの屋根は“かたち”だけで残ってきたわけではない。守ってきたのは、人の手だった。

合掌造りの屋根の葺き替えは、一軒の家族だけでできる仕事ではない。茅を集め、高い屋根に上がり、何層にも重ねながら整えていく作業には、たくさんの人の力が必要になる。そこで生まれたのが、「結(ゆい)」という考え方だった。

それは、困ったときに助け合うというだけの話ではない。自分の家の屋根をふくときには、周りの人が手を貸す。そして別の家の番が来たら、今度は自分がその手を返しにいく。お金ではなく、労力と時間を持ち寄って、暮らしを支えていく。そんな関係が、この里では長いあいだ、当たり前のものとして続いてきた。

“結”とは、単なる作業の分担ではなく、人と人とが、暮らしそのもので結ばれている状態なのだろう。ひとりでは守れないものを、みんなで守る。その積み重ねがあったからこそ、五箇山の合掌造りは、いまもなお、雪の下に立ち続けている。

そしておそらく、守られてきたのは屋根だけではない。この土地で生きる人たちの、「ひとりでは生きていけない」というごく自然な感覚そのものが、“結”の中には息づいているのだと思う。

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紙を漉く手、受け継ぐ手|1000年もつ和紙の技

雪深い山里で暮らすということは、自然の恵みとともに生きることでもあり、同時に、自然の厳しさを引き受けることでもあったのだろう。

五箇山のような土地では、昔から何もかもを外に頼ることはできなかった。山の中で手に入るものを使い、自分たちの暮らしに必要なものを、自分たちの手で生み出していく。そんな営みのひとつとして、和紙づくりも受け継がれてきたのだと思う。

今回の旅で訪ねる工房では、「1000年もつ」とも言われるほど、優れた耐久性を持つ和紙が作られているという。それは単に、丈夫な紙をつくる技術というだけではない。長い時間に耐え、人の手から人の手へと渡りながら、残っていくものを生み出す仕事でもある。

紙を漉くという行為は、見た目にはとても静かだ。水の中で繊維をすくい、ゆっくりと重ね、薄く、均一に整えていく。けれどその静けさの奥には、経験によってしか身につかない感覚と、長い時間をかけて受け継がれてきた知恵がある。それは、ただ“古い技術”として残っているのではなく、この土地の暮らしの中から生まれ、必要とされてきた手仕事なのだろう。

そして和紙もまた、ひとりで完結するものではない。素材を育て、道具を整え、技を受け継ぎ、使う人のもとへと渡っていく。そこにはやはり、人と人とをつなぐ時間が流れている。五箇山で守られてきたのは、家の屋根だけではない。こうした手の記憶もまた、この里の中で、静かに受け継がれてきたのだと思う。

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この里で生きるということとは?|五箇山に残る高校の風景

五箇山には、この地域で唯一の高校がある。かつては、この土地で生まれ育った子どもたちが、そのまま通う場所だったのだろう。けれどいまは、県外からこの地を選び、学びにやってくる生徒もいるという。

雪に閉ざされる冬。山あいに広がる静かな風景。便利さだけで見れば、決して恵まれているとは言えない環境かもしれない。それでもあえて、この場所で暮らし、学ぶことを選ぶ。そこにはきっと、単なる“学校”以上の意味があるのだろう。

五箇山での日々は、時間の流れ方が、少し違う。急ぐことよりも、積み重ねること。効率よりも、手をかけること。そうした価値の中で、人と人との距離もまた、自然と近くなっていく。

この里に根づく“結”の感覚は、屋根をふくときだけのものではない。日々の暮らしの中で、誰かと関わりながら生きていくことそのものが、すでに“結”のかたちなのだと思う。

都会から来た子どもたちにとって、その感覚は、最初は少し戸惑うものかもしれない。けれど時間を重ねるうちに、ひとりでは成り立たない暮らしの中で、支え合うことの意味を、少しずつ体で知っていくのだろう。

ここで過ごした時間は、きっとあとになって、静かに思い出されるものになる。それは、すぐに形が残るものではないかもしれない。けれど確かに、人の中に残り続ける“時間”として、この里の風景とともに、積み重なっていくのだと思う。

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変わるもの、残るもの|“結”はこれからも息づくのか?

五箇山の風景は、これからも同じままであり続けるわけではないのだろう。長くこの里で暮らしてきた人たちは、少しずつ年を重ね、やがてその数も減っていく。それは、どの土地にも訪れる、静かな時間の流れなのだと思う。

合掌造りの家々も、和紙を漉く手も、人がいてこそ続いていくものだ。だからこそ、「これから先も、このまま残るのだろうか」と不安になる瞬間は、きっとあるのだろう。

けれど一方で、いまこの里には、外から惹かれてやってくる人たちもいる。景色の美しさだけではなく、ここにある暮らし方や、人と人との距離の近さに、魅力を感じる人たちだ。

“結”という言葉が持つ響きに、どこか懐かしいものや、これからの時代にこそ必要なものを見つける人もいるのかもしれない。そう考えると、“結”はただ昔の習わしとして残るのではなく、これから先、別のかたちで息づいていく可能性もある。

昔とまったく同じではなくてもいい。屋根をふく手の数が変わっても、暮らしのかたちが少しずつ変わっても、「ひとりでは守れないものを、誰かとともに守っていく」という感覚さえ残るなら、“結”はきっと、この先も生き続けていくのだろう。

雪がほどけ、春がゆっくりとやってくるように。変わりながら、それでも残っていくものは、たしかにあるのだと思う。

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まとめ|静かに流れる暮らし

富山県南砺市・五箇山には、世界遺産としての美しい風景だけではなく、人と人とが支え合いながら暮らしてきた静かな時間が流れていました。合掌造りの屋根を守る「結(ゆい)」、長い時間に耐える和紙の技、そしてこの里で学び、育っていく若い世代。

それぞれは別々のようでいて、どれも「ひとりでは守れないものを、誰かとともに守っていく」という五箇山の心につながっているように思えます。

時代が変われば、暮らしの形も、人の流れも変わっていくのでしょう。けれどその中でも、支え合うことの意味や、人と人とのつながりを大切にする感覚が、これから先にも静かに受け継がれていくのなら――“結”はきっと、形を変えながらも、この里の中で生き続けていくのだと思います。

雪解けの春に出会った五箇山は、ただ懐かしい風景としてそこにあるのではなく、これからの時代にも、人が人とともに生きることの意味を、そっと問いかけてくれているようでした。

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