山あいの里に、かつて大きな茅葺き屋根が連なっていました。
高知県梼原町。昭和56年、この地では集落の人々が総出で、かやぶき屋根の葺き替えを行っていました。刈り取った茅を束ね、屋根に上げ、手と手をつなぐようにして仕上げていく大仕事。そこには、暮らしを守るために人が集まり、力を合わせる風景がありました。
それから40年。人の数は減り、同じかたちで屋根を守ることは難しくなりました。瓦に替わっていく家々。かつての風景は、少しずつ姿を変えています。それでも、すべてが消えたわけではありません。
人を迎える茶堂や、新しく建てられた建物の中に、かやぶきは今も静かに息づいています。消えゆくものと、残り続けるもの。そのあいだに流れた40年という時間に、人と暮らしの変化が刻まれています。梼原の里に残るかやぶきの記憶を、静かにたどっていきます。
【放送日:2026年3月24日(火)15:30 -16:10・NHK-BSP4K】
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里を覆っていた屋根 ― かやぶきの風景
山に囲まれた梼原の里には、かつて大きな茅葺き屋根が連なっていました。深い軒。厚く重ねられた茅。その一つひとつが、雨や風から暮らしを守っていました。屋根はただの覆いではなく、家そのものの姿をつくる存在でもありました。
遠くから見れば、集落全体がやわらかな曲線で包まれているようにも見えます。季節が移ろうたびに、その風景もまた、少しずつ表情を変えていく。雪をのせ、雨に濡れ、やがて陽の光を受けて乾いていく屋根。その下には、人の暮らしがありました。
火を起こし、食事をつくり、家族が集まり、静かに一日が過ぎていく。かやぶき屋根は、そうした日々を、ただ静かに支えていたのです。
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人が集まって守る屋根 ― 葺き替えという共同作業
かやぶき屋根は、一人ではつくることができません。茅を刈り、束ね、運び、屋根へと上げて、何層にも重ねていく。そのすべての工程に、多くの人の手が必要でした。
梼原の里では、屋根の葺き替えは、集落の人々が力を合わせて行う大きな仕事でした。屋根に上がる人。下から茅を渡す人。束を整え、形を整える人。それぞれが役割を持ち、声をかけ合いながら、ひとつの屋根を仕上げていきます。
それは単なる作業ではなく、人と人とがつながる時間でもありました。手を動かしながら交わされる言葉。笑い声や、気遣い。そのひとつひとつが、屋根の中に重なっていく。
完成した屋根の下には、ただの空間ではなく、そうした時間の積み重ねが息づいていました。かやぶき屋根は、人の手で守られてきた屋根でした。
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変わりゆく里 ― 40年の時間と屋根の変化
あれから40年。かつて人々が集まり、力を合わせて守ってきた屋根は、少しずつその姿を変えていきました。里を覆っていた大きな茅葺き屋根は減り、瓦やトタンへと替わっていく家々。人の数が減り、同じように手をかけて守り続けることが難しくなっていったのです。
かやぶき屋根は、美しさだけで成り立つものではありません。定期的な葺き替えと、それを支える多くの人の手があってこそ、はじめて保たれるものです。
その“人の力”が少なくなったとき、屋根のかたちもまた、変わらざるを得ませんでした。けれど、それは決して後退だけではありません。雨風をしのぎ、暮らしを守るという意味では、瓦やトタンもまた、ひとつの答えです。
時代に合わせて、人は暮らしのかたちを選び取ってきました。かやぶきが減っていく風景の中には、失われていくものと同時に、新しく築かれていく日々の営みも重なっています。変わること。それもまた、暮らしの一部なのかもしれません。
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それでも残るかたち ― 茅葺きが生きる場所
すべてが消えてしまったわけではありません。梼原の里には、今もなお、かやぶきの姿をとどめる場所があります。人々を迎える茶堂。そして、新しく建てられた建物の中にも、その素材やかたちは受け継がれています。
かつてのように、家々の屋根として広がってはいなくても、かやぶきは、かたちを変えながら生き続けているのです。それは、過去をそのまま残すというよりも、今の暮らしの中に合うかたちで、やさしく取り入れられているようにも見えます。
失われていくものの中で、それでも残ろうとするもの。あるいは、人の手によって、残されていくもの。かやぶきは、ただ守られるのではなく、新しい意味を与えられながら、この里に息づいています。
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屋根の下にあったもの ― 暮らしと人のつながり
かやぶき屋根が守っていたのは、ただの家ではありませんでした。その下にあったのは、人の暮らしであり、人と人とのつながりでした。
屋根を葺き替えるとき、人々は自然と集まり、力を貸し合いました。特別なことではなく、当たり前のように支え合う関係。困ったときには手を差し伸べ、喜びもまた、分かち合う。そうした関係が、屋根の下に、静かに息づいていました。
やがて屋根のかたちは変わり、暮らしの風景も少しずつ姿を変えていきます。けれど、そこで育まれてきたものは、簡単に消えてしまうものではありません。目に見えないかたちで、人の中に残り続けていく。
かやぶき屋根は、その象徴のひとつだったのかもしれません。屋根が覆っていたのは、空間だけではなく、人と人との関係そのものだった。そう思えるほどに、この里には、あたたかな記憶が重なっています。
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まとめ|消えゆく屋根に残る、暮らしの記憶
高知県梼原町に残る、かやぶきの里。かつては集落を覆うように広がっていた屋根は、人々の手によって守られ、暮らしとともに息づいてきました。けれど40年という時間の中で、その風景は少しずつ姿を変えていきます。
人が減り、屋根は瓦やトタンへ。かつてのかたちをそのまま保つことは、簡単ではなくなりました。それでも、すべてが消えてしまったわけではありません。茶堂や新しい建物の中に、かやぶきは形を変えて残り、その記憶を静かに伝え続けています。
そして何より、屋根の下で育まれてきた人と人とのつながりは、今もこの里の中に息づいています。消えゆくものと、残り続けるもの。そのあいだにある時間を見つめるとき、私たちは、暮らしの本当のかたちに触れているのかもしれません。