【ブラタモリ】佐野はラーメンと厄除け大師だけの街?天明鋳物は石灰岩があったからこそ栄えた?!

BLOG
スポンサーリンク

7月8日(土)のブラタモリでは栃木県佐野市が舞台です。南関東の人からは、佐野といえばラーメンと年末の厄除け大師のCMくらいの認識しかありませんが、平安時代から藤原秀郷の命で天明鋳物武器などを作り始めたのが由来と言われています。その後、茶の湯釜や梵鐘、鍋・釜といった生活用品場作られて今に至っています。

佐野市の周辺では江戸時代から石灰岩が採れ、石灰に含まれる脱硫成分が鋳物の製造に役だったとされています。栃木県は海から離れた内陸にありますが、こんなところで珊瑚由来の石灰岩が取れるのはどうしてでしょうか?タモリさんはぶらぶら歩いて、その謎を解き明かすのでしょうか?
<広告の下に続く>

佐野ラーメンが名物になったわけ?

佐野は東京から約70km、日光までは1時間半ほどの距離にあります。現在では取り立てて特徴のない”通過点”ですが、平安時代には藤原秀郷が城を築いた唐沢山や、奈良の都から東山道沿いの宿場町として万葉集にも詠まれている歴史のある町です。

今ではあまり特徴のない町ですが大正初期に、当時佐野に住んでいた中国人がラーメンを作り、織物で栄えていた頃、深夜まで働く地元の女工さんたちの間に広まったとされています。当時は値段も安く子供からお年寄りまで好んで食べられたそうです。

佐野の冬は、からっ風の吹く乾燥した土地で夜間は冷え込みが厳しく、夏は内陸性の猛暑に襲われる自然環境が厳しい土地です。でも日光からの地下水で日本名水百選にも選ばれている「出流原弁天池湧水」で知られており、この水が佐野ラーメンを育んだのでしょう。

佐野ラーメンはチャーシュー、なると、メンマの古くからの「ラーメン3種の神器」の伝統を守っている、いわゆる”普通の”東京ラーメンです。最近では気をてらったラーメンや家系をはじめとする豚骨醤油が人気ですが、「昭和レトロ」を好む若者たちにも支持層を広げているようです。元祖佐野ラーメンと言われる「宝来軒」は行列の絶えない店として人気があるようです。

佐野ラーメン

<広告の下に続く>

佐野厄除け大師はなぜここにある?

佐野厄除け大師といえば、関東地方では年末になると流れるテレビCMで有名ですが、その歴史は古く、平安時代に春日岡(現在の佐野城址)に宥尊(ゆうそん)上人が開いたお寺が起源です。

そのことを時の朱雀天皇に申し上げたところ天皇は大変喜ばれ、「春日岡山惣宗官寺」の勅額を賜ったといわれています。それ以来、藤原一門の信仰あつく栄えましたが、平安時代の末期の保元・平治のころには衰えました。

その後1602年、藤原秀郷から30代の佐野信吉公が、 幕命により唐沢城をこの春日岡(城山公園)に移すにあたって、寺は現在地に移転しました。徳川時代には御朱印五十石を拝領して寺社奉行も置かれ、三代将軍家光公も参拝する等、徳川幕府との縁故も深いお寺です。

佐野厄除け大師

佐野名産の天明鋳物の起源はいつ?

佐野といえば天明鋳物が有名ですが、元々は藤原秀郷が10世紀中頃に近畿から鋳物職人を呼び寄せて、武器を作らせたのが起源といわれています。室町時代には次第に技術も優れたものになり、1545年に作られた「鋳銅梅竹文透釣燈籠(ちゅうどうばいちくもんすかしつりどうろう)」は国指定の重要文化財に指定されています。

鋳銅梅竹文透釣燈籠

また戦国時代には茶の湯の流行で、製造時に当時の石灰岩を使った天明鋳物釜の荒れた肌あいの作風が茶人に好まれ、茶人に大いに好まれたといわれています。千利休が好んだといわれる「あれ肌」もこのようなものだったのかもしれません。天明鋳物は「西の芦屋(現:福岡県芦屋町)、東の天明」として天下にその名を知られました。千利休や天下人たちが天明釜で茶会を催したとの文献も残されています。

半甑口釜(はんこしきぐちがま)

<広告の下に続く>

佐野でどうして石灰岩が採れる?

佐野市周辺では石灰岩の採石地が数多くあります。石灰岩の成分は炭酸カルシウムで、元は海の底に珊瑚の死骸が堆積したものです。佐野市の北部には葛生(くずう)という地域があって、今でも石灰岩の採石場が数多くあります。

地質図を見ると、この地域は付加体という北米プレートの表面にあった海底の堆積物が、ユーラシアプレートの下側に沈み込む時にこそぎ剃られた岩が集まっています。その中にかつて海底にあった珊瑚の死骸が石灰岩となって地表近くに隆起したのです。これが佐野市周辺で石灰岩が採掘される大きな理由です。

産業総合研究所

石灰岩の本格的な採掘は江戸時代から行われていましたが、それ以前の石灰岩は生成技術が未熟で、脱硫成分も多く含まれていました。それが鋳物の製造に役立ったといわれています。

現在では鋳物の「あれ肌(荒肌)」は不良品だといわれますが、「侘び寂び(わびさび)」を好んだ利休の目には、自然で素朴な素晴らしいものに映ったのかもしれません。

栃木県・佐野市のまとめ

佐野ラーメンが名物になったわけ?

大正時代に、佐野に住んでいた中国人がラーメンを作り、織物で栄えていた頃、深夜まで働く地元の女工さんたちの間に広まったとされています。当時は値段も安く子供からお年寄りまで好んで食べられたそうです。

佐野厄除け大師はなぜここにある?

歴史は古く、平安時代に藤原秀郷の命で建立された「春日岡山惣宗官寺」が起源です。春日岡(現在の佐野城址)に宥尊(ゆうそん)上人が開いたお寺が起源です。そのことを時の朱雀天皇に申し上げたところ大変喜ばれて勅額を賜りました。

佐野名産の天明鋳物の起源はいつ?

藤原秀郷が10世紀中頃に近畿から鋳物職人を呼び寄せて、武器を作らせたのが起源といわれています。戦国時代には茶の湯の流行で、天明鋳物釜の荒れた肌あいの作風が茶人に好まれ、千利休や天下人たちが天明釜で茶会を催したとの文献も残されています。

佐野でどうして石灰岩が採れる?

この地域には「付加体」岩石が露出しています。北米プレートとユーラシアプレートがぶつかった時の堆積物が地表に現れたのが付加体です。その中に石灰岩が含まれているのです。これが佐野市周辺で石灰岩が採掘される大きな理由です。

タイトルとURLをコピーしました