函館の桜の名所・五稜郭の桜は誰がいつ植えたの?ソメイヨシノはクローンって本当?【あさイチ】

BLOG
スポンサーリンク

こんにちは鳥巣です。4/28のあさイチでは函館・五稜郭公園のソメイヨシノが中継されるようです。五稜郭といえば幕末の戊辰戦争で、新選組を率いる土方歳三が、最後の戦いの末に敗れた地としても有名ですが、もちろん戊辰戦争の時にはソメイヨシノもありませんでした。ではこの桜はいつ、誰が植えたものなのでしょうか?

ソメイヨシノはクローン桜!?

ソメイヨシノという桜の品種は、東京にあった染井村(現東京都豊島区駒込)で、オオシマザクラとエドヒガンの交雑種として開発されたことで有名ですが、実はソメイヨシノは”後世に子孫を残せない”ことはあまり知られていません。

ソメイヨシノは、自分の花粉では受精しないという性質を持っています。これは、自分の遺伝子を他の個体に広げて、他の遺伝子を取り入れることで進化していくための生物遺伝の仕組みです。これを「自家不和合性」といいます。

ですから、ソメイヨシノは種子から育てることができないのです。つまり世界中にあるソメイヨシノは”接ぎ木”によって増やされたため、遺伝子的にはすべてが同じ”クローン”ということです。

1912年に日本から送られた米・ワシントンD.C.の桜も現在では、日本から送られた約3,000本のソメイヨシノの生き残りと、後から植えられたカンザンという八重桜が主流で、カンザンは約350本が植えられています。ソメイヨシノの樹命は一般に60~70年といわれていますが、管理の行き届いた状態では 100 年を超えるものも数多くみられるようになりました。

<広告の下に続きます>

五稜郭の桜は明治時代の半ばから!?

函館の五稜郭公園には、約1,600本の桜がありますが、そのうちソメイヨシノが全体の97%の約1,560本、サトザクラ系の関山、南殿、ウコン、八重紅枝垂れが約50本で全体の3%となっています。

五稜郭公園が函館の桜の名所になったキッカケは、函館毎日新聞社が大正2年(1913 年)に発行数1万号の記念として桜の苗木5,000本を、翌大正3年に植栽したのが始まりです。

その後、昭和40年頃までには約11,300本の桜が植栽されましたが、枯れたり、危険木として伐採されたりして現在は約1,610本になりました。

約11,300本が植樹された桜ですが、植栽当時は苗木が数メートル間隔で植えられていて、かなりの密植だったそうです。その後、約40年間成長し続けた桜は平成に入るころには高さ 14~15m位にまで成長しました。

しかし過密状態で、上へ上へと成長を続けた桜は、日照不足のためヒョロヒョロと背の高いマッチ棒のような形になり、下枝が枯れ、花付が悪く、病気が蔓延してしまったといいます。

ソメイヨシノがクローンで増えたと前述しましたが、このクローン性には、同時に美しい花を咲かせるというメリットがありますが、一方で病害虫に弱いというデメリットも存在します。

そこで、五稜郭公園の管理事務所では解決策として、管理のしやすい低い位置に後継枝を育てるため、幹、太枝を現状の半分くらいの位置で切断する事を決断しました。

切り口から腐朽になりやすい桜にとって、太い枝や幹の切断は致命的なダメージを負う可能性がありますが、現状を改善させるためには避けられない決断でした。

この頃は既に桜の名所となっていたので、幹をバッサリ切ることに市民からの苦情も多かったといいます。ただこの時の決断がなければ、枝枯れや樹勢の衰退が進み、桜の名所としての存続することはなかったかもしれません。

<広告の下に続きます>

まとめ

ソメイヨシノはクローン桜!?

ソメイヨシノは、自分の花粉では受精しないという性質を持っています。これは、自分の遺伝子を他の個体に広げて、他の遺伝子を取り入れることで進化していくための生物遺伝の仕組みです。これを「自家不和合性」といいます。ですから、ソメイヨシノは種子から育てることができません。つまり世界中にあるソメイヨシノはすべてが”接ぎ木”によって増やされたため、遺伝子的にはすべてが同じ”クローン”ということです。

五稜郭の桜は明治時代の半ばから!?

五稜郭公園が函館の桜の名所になったキッカケは、函館毎日新聞社が大正3年(1914年)に桜の苗木5,000本を植栽したのが始まりです。その後、昭和40年頃までには約11,300本の桜が植栽されましたが、枯れたり、危険木として伐採されたりして現在は約1,610本になりました。

タイトルとURLをコピーしました