こんにちは鳥巣です。5/31のあさイチには朝ドラ「虎に翼」のヒロイン・寅子の父役の岡部たかしさんが出演されます。演劇には詳しくないので岡部さんのことは詳しく存じ上げないのですが、今まで朝ドラでも「ブギウギ」で銭湯の最初のお客だった”アホのおっちゃん”や、「ひよっこ」で有村架純さんの工場が閉鎖される時に、中にある機械を運び出す業者の役をやっていたりしました。そんな岡部たかしさんについて調べてみました。
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岡部たかし(俳優)
- 出身地:和歌山県
- 誕生日:1972年6月22日(51歳・2024年5月現在)
- 血液型:A型
- 身 長:175cm
- 著名な家族:岡部ひろき(俳優)
- 主なドラマ出演:
NHK大河(龍馬伝、八重の桜、真田丸、西郷どん、青天を衝け) NHK朝ドラ(ひよっこ、なつぞら、エール、ブギウギ、虎に翼) 他多数。
岡部たかしさんの下積み時代は?
岡部たかしさんは中学を卒業後、地元の和歌山工業高校の土木科に進学しました。工業高校を選んだ理由は「仲の良かった友達がこの学校に行くと言ったから」だそうで、特に土木に魅力を感じたわけではなさそうです。
高校卒業後は地元の建築会社に就職しますが、「仕事がまったく面白くなくて」やめてしまったそうです。この頃から”面白いこと”だけを目指す人生に向かっていたのかもしれません。
その後はアルバイトをして食い繋ぐフリーター生活を続けていましたが、一緒に遊んでいた地元の仲間たちが結婚したり”ちゃんとした”仕事に就くようになり、「このまま和歌山にいても面白くないな」と思ったのだそうです。
東京に行きたいなら、私も一緒に行くやん。
やりたいことやった方がええよ
そんな時に、当時付き合っていた彼女が「東京行きたいんなら一緒に行く!」と言ってくれた言葉に背中を押されて上京することになりました。
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なんとなく「芸能人」というものに興味はあったもののどうしたらいいのか分からず、とりあえず柄本明さんが座長を務める「劇団東京乾電池」の研究生のオーディションを受けてみました。24歳の時です。
オーディションでは”自分の特技を披露する”という課題があったので、座長の柄本さんの前で尾崎豊の「 I I LOVE YOU」を熱唱したところ、なぜか受かってしまったのだそうです。
1年間の研究生生活の最後に卒業公演というののがあって、そこで「ホン(脚本)を書きたい人、手を挙げて」と聞かれて、岡部さんは手を挙げたのだそうです。
はーい!書きまーす!
脚本なんて書いたことがないのに、「自分で書いたほうが面白いだろうな」と思ったんです。たいした脚本が書けないまま迎えた卒業公演でしたが、友人や彼女も観に来てくれました。
が、僕は人前で演じるのが恥ずかしくて、本番でもまったく前を向けませんでした。 その日、友人は何も言わずに帰り、彼女には、「……やめたら?」と言われと言われたそうです。
…やめたら?
ところが、なぜだ正式に劇団員になれたました。後から聞いた話では、その当時の劇団は何にも染まっていない素人っぽい人を求めていたようです。
乾電池の劇団員になったのは、25歳でしたが、ここからの俳優人生も、おもしろいと思えなくなったりしたタイミングで、環境を変えていきました。
結局、「東京乾電池」は3年で退団し、いろいろなユニットにも参加し、テレビドラマにもちょい役で出演するようになりました。
その後、40歳でいまの事務所に移籍してテレビドラマの仕事も増えていきました。ようやくアルバイトをせずに、演技だけで食べていけるようになったのはこの頃からです。
今でも「ブギウギ」での”アホのおっちゃん”や、「虎と翼」の寅子の父など、その演技の中には思わずクスリと笑ってしまうような面白さが垣間見えたりします。
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岡部たかしさんはどんなアルバイトをしてきた?!
高校卒業後は建設会社で1年間、現場監督をやっていましたが、あまりにも面白くなくて1年で辞めてしまいます。そのあとは喫茶店でバイトしたり、トラックの運転手をやったり、フラフラしていました。
警備員から始まり、居酒屋や日雇いの作業員、テレフォンアポインター(テレアポの電話をかける仕事)、宅配寿司のデリバリーなど、本当にいろんなアルバイトをしました。
40歳まで宅配のバイトをしながら、役者をやってました。俳優として認知されるようになった今でもされも「大きな夢や野望はない」といいます。
夢は…特にないんです
「大きな目標はずっとないんです。ただ、仕事をするたびに、『あの俳優は面白い』と共演者やスタッフに思われるような俳優ではいたいです。」と今の夢を語っています。
今でも”売れた”という実感こそありませんが、いま50歳の自分が、どんな俳優になっていくか、それが楽しみなんです、という岡部たかしさんのこれからは目が離せません。
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岡部たかしさんは同じ人と再婚してる?!
24歳で地元の和歌山を離れて上京した岡部たかしさんですが、「劇団東京乾電池」の正団員になった25歳で和歌山から一緒に上京してくれた彼女と一度は結婚しています。
29歳になった2000年には息子のひろきさんが生まれますが、2006年の34歳の頃には離婚しています。岡部さんの不倫が理由だそうです。離婚後、元妻は郷里の和歌山に帰って美容師を続けているそうです。
1度離婚した妻とはどうして再婚したのでしょうか?それは2011年に起こった「東日本大震災」だと言います。
大震災をきっかけに離婚した元妻を心配して連絡を取ったり、元妻の家を訪ねたりしているうちに、夫婦関係が修復して2011年に再婚しました。本人曰くは、震災をきっかけに家族の大切さを再認識したのだとか。ここでは面白いかどうかは関係なかったようです。
そんな岡部さんですが、現在でも東京と和歌山で別居生活をされているようです。でも岡部さんに取っては奥様は”面白い”人なのかもしれません。
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まとめ
岡部たかしさんの下積み時代は?
高校卒業後は地元の建築会社に就職しますが、24歳になった時、一緒に遊んでいた地元の仲間たちが落ち着くようになり、「このまま和歌山にいても面白くないな」と思って付き合っていた彼女と一緒に上京します。25歳の時に「劇団東京乾電池」の劇団員になりましたが3年で退団。40歳の頃まではアルバイトで食い繋ぐ生活をされていたようです
岡部たかしさんはどんなアルバイトをしてきた?!
高校卒業後、就職した建設会社を1年で辞めてからは喫茶店でバイトしたり、トラックの運転手をやったり、警備員、居酒屋や日雇いの作業員、テレフォンアポインター、宅配寿司のデリバリーなどいろんなアルバイトをされていたようです。40歳までは宅配のバイトをしながら役者をやっていたそうです。
岡部たかしさんは同じ人と再婚してる?!
24歳で地元の和歌山を離れて上京した岡部たかしさんですが、「劇団東京乾電池」の正団員になった25歳で和歌山から一緒に上京してくれた彼女と一度は結婚しています。
29歳になった2000年には息子のひろきさんが生まれますが、2006年の34歳の頃には離婚しています。岡部さんの不倫が理由だそうです。離婚後、元妻は郷里の和歌山に帰って美容師を続けているそうです。
2011年に起こった「東日本大震災」をきっかけに、離婚した元妻を心配して連絡を取ったり、元妻の家を訪ねたりしているうちに、夫婦関係が修復して2011年に再婚したそうです。