最後の晩餐の下に眠る道――地下通路が語る「最後の晩餐」の真実とは?

「最後の晩餐」を見つめる女性の後ろ姿 BLOG
レオナルド・ダ・ヴィンチにとって、地下は「隠された場所」ではなかった。
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名画の下に、道があった。それは長いあいだ、伝説として語られてきた話だった。レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」。その舞台となったミラノの修道院の地下に、彼のノートにしか存在しないはずの“通路”が、本当に見つかったのだ。

なぜ、1キロメートルもの地下通路が造られたのか。それは何のためで、誰のための道だったのか。俳優・杏とともに、ダ・ヴィンチが最も長い時間を過ごした街・ミラノを歩きながら、名画の「下」に眠っていたもうひとつの物語をたどっていく。

【放送日:2026年1月31日(土)21:00 -22:30・NHK-BS】

ミラノで動き出した、ひとつの“違和感”

すべては、はっきりとした発見から始まったわけではなかった。最初にあったのは、「おかしい」という、ごく小さな違和感だった。

ミラノに残る古い記録や、レオナルド・ダ・ヴィンチ自身が残した断片的なメモ。そこには、街の構造や要塞、防衛、そして“移動”に関する走り書きが、何気ない顔で紛れ込んでいる。どれも決定的な証拠ではない。けれど、無視するには気になる断片だった。

ダ・ヴィンチは画家であると同時に、徹底した観察者だった。都市をひとつの「生き物」のように捉え、地上だけでなく地下の流れにも目を向けていた人物だ。
もし彼がミラノという街を設計図のように眺めていたとしたら――その視線が、地表の下へ向かっていたとしても不思議ではない。

最新の調査技術によって、城や修道院、街の要所を結ぶ地下構造が、少しずつ“線”として浮かび上がってきた。偶然にしては出来すぎている配置。目的を持って掘られたとしか思えない距離と方向。それはまだ、「通路があった」と断言できる段階ではない。

けれど、確かにミラノの地下で、長いあいだ眠っていた何かが、静かに目を覚まし始めていた。名画の前に立つ観光客たちは、まだ何も知らない。その足元で、歴史がそっと動き出していることを。

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ダ・ヴィンチは、なぜ“地下”を見つめていたのか?

レオナルド・ダ・ヴィンチにとって、地下は「隠された場所」ではなかった。むしろ彼にとっては、世界の仕組みがもっとも正直に現れる場所だった。

彼は生涯にわたって、水の流れを描き続けた。川、運河、地下水脈。水がどう動き、どう溜まり、どう街を支えるのか。それは単なる土木への関心ではなく、「生命が循環する原理」を理解しようとする眼差しだった。

ミラノは、ダ・ヴィンチが最も長く滞在した都市だ。華やかな宮廷文化の裏で、疫病、戦争、防衛、物流といった現実が、常に街を揺らしていた。彼はそのすべてを、地上と地下をひと続きのシステムとして捉えていた節がある。

地下通路は、逃走路かもしれない。兵の移動路かもしれない。あるいは、水や物資を運ぶための、静かなライフラインだった可能性もある。重要なのは、ダ・ヴィンチが「絵画」と「都市」を別々に考えていなかったことだ。

構図を考えるように街を見つめ、人体を解剖するように都市の内部構造を理解しようとした。もし彼が「最後の晩餐」を描いた場所の下に、人の目に触れない“道”を思い描いていたとしたら――それは秘密主義ではなく、むしろ彼らしい合理性だったのかもしれない。

表に見えるものだけが、真実ではない。ダ・ヴィンチはずっと、そう考えていた。だから彼は、人々が見上げる壁画の下で、誰にも気づかれないまま、地下へと視線を落としていたのだ。

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名画と地下通路は、どう結びつくのか?

「最後の晩餐」は、信仰の絵であると同時に、極めて構造的な絵だ。
人物の配置、視線の流れ、遠近法の消失点。すべてが、ひとつの理屈に従って組み立てられている。その消失点は、キリストの頭部。見る者の視線は、必ずそこへ導かれるように設計されている。偶然ではない。これは建築家の思考であり、数学者の仕事だ。

ここで、地下通路の話と重ねてみる。ダ・ヴィンチがミラノで関わったのは、絵画だけではなかった。運河、防衛、都市計画。彼は「人がどう動くか」「物がどう流れるか」を常に考えていた。もし、修道院の地下に通路があったとすれば――それは単なる裏道ではなく、都市と宗教、権力をつなぐ“動線”だった可能性がある。

表では、信仰の物語が描かれる。裏では、現実の都市が動いている。「最後の晩餐」は、裏切りの瞬間を描いた絵だ。表情、身振り、緊張。すべてが、“見えない何かが起きた後”の世界を示している。

地下通路もまた、人々の目に触れない場所で、何かが起きるための空間だったのだとしたら。名画と地下通路は、象徴と構造、精神と物理――同じ思想の、上下に分かれた表現だったのかもしれない。

ダ・ヴィンチは、「信じる人」と「動かす人」の両方を見ていた。だからこそ、絵の上と、街の下を、同時に考えた。表にあるものだけで、世界はできていない。そのことを、彼は誰よりも知っていた。

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発見された地下通路は、何のために作られたのか?

近年の調査で確認された地下通路は、「伝説」ではなく、実在する構造物だった。場所は、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会周辺。「最後の晩餐」が描かれた、あの修道院だ。

地下には、幅のある通路が伸びている。人がかがまずに歩ける高さ。防御的な構造。明らかに「偶然できた空洞」ではない。では、何のためか。

ひとつの有力な説は、防衛と避難のため。ダ・ヴィンチが生きた時代のミラノは、戦争と政争のただ中にあった都市だった。スフォルツァ家の城、修道院、重要施設。それらを地下でつなぎ、有事の際に人や物資を移動させる――これは当時としては、極めて合理的な都市設計だ。そして、もうひとつの説。

それは、儀礼と権力のための通路。修道院は祈りの場であると同時に、政治と密接につながる場所でもあった。表の世界では見せられない移動。見せてはいけない人の動線。地下通路は、「誰にも見られずに、確実に移動するための道」だった可能性がある。

ここで重要なのは、この通路が「後世に作られたものではない」と考えられている点だ。構造、年代、周辺施設との整合性。すべてが、ダ・ヴィンチがミラノに深く関わっていた時代と重なる。彼が設計に直接関わったかどうかは、まだ断定できない。

でも――都市を、上からも下からも考えた人物が、その時代のミラノに、他にいただろうか? 名画の上に、信仰の物語。その下に、現実の都市。ダ・ヴィンチの思考は、いつも二層構造だった。だからこそ、「最後の晩餐」の下に、“道”があっても、不思議ではない。

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なぜ、この発見は今まで見過ごされてきたのか?

理由は、意外なほど静かで、人間的だ。まずひとつは、「見えないものは、なかったことにされやすい」という事実。地下通路は、壁の向こう、床の下にある。

日常的に目に入らないものは、研究の優先順位から外されやすい。特に「最後の晩餐」は、それ自体があまりにも強い“主役”だった。壁画の保存。修復。観光動線。議論はすべて、壁の上で完結していた。

もうひとつの理由は、物語の完成度。「最後の晩餐」は、すでに“わかりやすい物語”を持っていた。
・修道院の食堂に描かれた理由
・裏切りの瞬間を切り取った構図
・数奇な保存と修復の歴史
これ以上、何かを足す必要がないほど、完成された説明が存在していた。人は、完成した物語を壊したくない。新しい事実は、ときに“邪魔者”になる。

そして、いちばん大きな理由。それは――地下通路の存在が、ダ・ヴィンチを「現実の人間」に引き戻してしまうから。天才。芸術家。万能の象徴。そこに、「都市防衛」、「権力構造」、「逃走経路」、そんな言葉が混ざると、神話が、急に生身になる。

ダ・ヴィンチは、最初から神話ではない。彼は絵を描き、水を制御し、街を設計し、戦争の現実も見つめた人。地下通路は、その“地に足のついた思考”の延長線上にある。だから、この発見は長く眠っていた。

無視されたのではなく、語られる準備が、整っていなかっただけ。そして今。技術と視点が揃い、ようやく「見ていいもの」になった。

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地下に続く道は、私たちに何を問いかけているのか?

発見された地下通路は、いまもなお多くを語らない。それが軍事のためだったのか、儀式のためだったのか、あるいは単なる都市インフラだったのか——決定的な答えは、まだ出ていない。けれど、この「わからなさ」そのものが、私たちにひとつの問いを投げかけている。

私たちは、目に見えるものだけで世界を理解したつもりになっていないだろうか? 壁の向こう、地面の下、歴史の影に追いやられたものを、「なかったこと」にしてはいないだろうか。

ダ・ヴィンチは、常に表と裏を同時に見ようとした人だった。人体も、都市も、宗教画でさえも——完成された表面の下に、必ず構造と理由があると信じていた。

地下通路の存在は、その視線を現代に引き戻す。「見えているものがすべてではない」「知らないままでいいのか」と。そしてその問いは、過去ではなく、今を生きる私たちに向けられている。

情報があふれ、すぐに答えが手に入る時代だからこそ、立ち止まり、想像し、考えることを忘れてはいないか——と。地下へ続く道は、名画の下に眠っていた。けれど本当に照らされているのは、私たち自身の「見る姿勢」なのかもしれない。

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答えは、地下ではなく私たちの中にある

地下通路は、すべてを説明してはくれない。むしろ、その沈黙によって、私たちに考える余地を残している。

ダ・ヴィンチが本当にこの道を意識していたのか? 「最後の晩餐」と直接の関係があったのか? その答えは、もしかしたら永遠に見つからないのかもしれない。

けれど、不思議なことに——それでも、この発見は確かに私たちの中に何かを残す。見えないものを想像する力。一度定説とされたものを、もう一度見直す勇気。そして、「わからない」という状態を受け入れる知性。

ミステリーとは、謎が解けた瞬間に終わるものではない。むしろ、本当のミステリーは、答えが出ないまま、私たちの思考を動かし続けることにある。

地下通路は、過去の遺構だ。けれど、そこから生まれる問いは、今を生きる私たちのものだ。何を信じ、どう見るのか。表に見えるものだけで満足していないか。自分の足で、考えることをやめていないか。答えは、石の下にはない。名画の壁の裏にもない。——それは、この物語を見つめている私たち一人ひとりの中にある。

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