もし次の休みに一泊だけ時間があるなら、京都じゃなく“福井の海辺”に行きませんか?
もし次の休みに一泊だけ時間があるなら、京都じゃなく“福井の海辺”に行きませんか?
京都の料亭で上品にいただくぐじ(アカアマダイ)もいい。でも、あの魚の本当の魅力を知るなら――現地・若狭の漁師町まで足を伸ばすべきだと、ボクは最近ようやく気づいたのです。きっかけは、テレビ番組『食彩の王国』で見た“若狭ぐじ”の回。
「ぐじはね、皮から食べるのが本当の贅沢なんですよ」
そう優しく囁いたのは、若狭の小さな旅館「こすえ旅館」の女将さんだった。それは若狭焼き…。松笠造りという真鯛の焼き物があるが、松笠造りが鱗を焼いて立てるのに対して、若狭焼きはいかに鱗を立てずに焼くかの違いがあるといいます。

ボク自身、ぐじを一度だけ食べたことがある。懐石料理で出てきたお刺身と塩焼き。正直、そのときは「上品な白身魚だな」くらいにしか思っていなかった。でも――パリッと焼けた皮に歯が触れた瞬間だけは、今でも鮮明に覚えている。「あ、魚の皮ってこんなに香ばしくて美味しいんだ」その感覚が忘れられずにいた。だからこそボクは思った。
「ぐじって、もしかして“皮を美味しく食べるための魚”なんじゃないか?」
女将の一言で、完全に確信した――やっぱり、ぐじは若狭で食べるべき魚なんだ。
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そもそも「ぐじ(若狭ぐじ)」ってどんな魚?
ボクにとって「ぐじ」という魚は、ずっと“名前だけ知っている高級魚”だった。懐石料理のお皿に静かに横たわっている、上品な白身。正直、その正体を深く考えたことなんてなかった。でも――調べてみると、「ぐじ」って実はけっこうややこしい魚なんです。
標準名は「アカアマダイ」。でも“ぐじ”と呼ぶのは関西圏だけ
- 正式名称(標準和名):アカアマダイ
- **関西圏や京都・福井では「ぐじ」**と呼ぶ
- 関東では「アマダイ」表記が一般的で、そもそも流通量も少なめ
つまり、ボクみたいな関東育ちの人間にとって“ぐじ”という言葉は、ちょっと旅情のある“よそ行きの呼び名”みたいなものだったわけです。
「京都のぐじ」と「若狭ぐじ」は、同じ魚だけど意味が違う
ここがポイント。
呼び方 | 意味 | 主な文脈 |
---|---|---|
京都のぐじ | ぐじ=アカアマダイ全般を指す「料理名・素材名」 | 京料理・懐石など上品な場面で使われる |
若狭ぐじ | 福井県・若狭で獲れるアカアマダイのブランド名 | 「皮まで美味しく食べられる」ことを売りにしている |
つまり――
“ぐじ=上品な京料理”だと思っていたけど、本当に語るなら “若狭” を知らないと片手落ち。
ボクが食べた懐石のぐじもたしかに美味しかった。でも、「パリッとした皮まで美味しい理由」を ちゃんと知るには、若狭の海まで一度たどらなきゃいけない。
そして、その答えは女将の言葉に集約されていた。
「ぐじはね、皮から食べるのが本当の贅沢なんですよ」
――その一言で、「ぐじって、皮を楽しむ魚なんだ」とボクはようやく理解した。
それじゃあ次は、その「皮を食べる文化」がどこから来たのか。続いては、若狭の女将直伝――ぐじの正しい食べ方について語ります。
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なぜ“ぐじは皮から食べる”?女将に聞いた若狭流の食べ方
「ぐじはね、皮から食べるのが本当の贅沢なんですよ。」
そう教えてくれたのは、若狭の小さな旅館「こすえ旅館」の女将さんだった。静かに炭火の上に置かれたぐじの切り身。脂がじゅわっと染み出して、火に落ちた瞬間――ジュッ、と小さく弾ける音が響く。その音を聞くだけで、もう箸を持つ手がうずうずしてくる。
やがて皮が反り返り、きつね色から“ほのかに琥珀色”へと変わる瞬間が来る。そこで女将さんはスッと火から引き上げた。
「これ以上焼いちゃダメなんです。皮が“パリッ”と言った状態で止めるのが、若狭ぐじの一番いいところなんです。」そう言って、ボクの前にそっとお皿を置く。正直、ボクは身から食べようとしていた。いつもの魚のクセで。でも――女将さんが少しだけ困ったように笑って、こう言った。
「身からいくと損しますよ? ぐじは“皮が先”です。」
言われるがままに、箸で皮の端だけを少しつまんで口に運ぶ。——パリッ。
たしかに音がした。いや、「自分の歯ごたえの音」が耳の中で跳ね返ってきた。次の瞬間、皮の下に潜んでいた旨味の脂がじゅわっと広がる。香ばしさと甘みが同時に来る。
あのときの感覚は、ボクが懐石料理で食べた塩焼きの「皮パリ」を思い出させた。でも若狭で食べるぐじは、もっと“厚みのある幸福感”が口の中に残る。なるほど。女将さんが言ったことがようやく理解できた。
「ぐじは身が主役じゃない。皮なんです。」
そして彼女はさらにこう続けた。「昔はね、漁師さんが船の上でそのまま焼いて、“皮だけ食べて身は子どもにあげた”っていう話もあるんですよ。それくらい贅沢品だったんです。」
身より先に皮を食べる魚なんて、他に聞いたことがない。“マナー”じゃなく、“文化”として皮から食べる魚。それが――若狭ぐじ。
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若狭の漁師町で食べるならココ!番組登場店まとめ
— “ただの店舗紹介”じゃなく、“2人で泊まる妄想付き”でどうぞ。
1泊するならここ一択。「こすえ旅館」—女将の言葉が旅のハイライトになる宿
もしボクたちが若狭に行くなら、まずはここに泊まると思う。なぜなら――
“皮から食べるのが本当の贅沢ですよ”って言って教えてくれたのが、この宿の女将だから。
夕飯の時間。畳の部屋にちゃぶ台が置かれて、湯気立つぐじの塩焼きが登場。女将さんに
「皮からですよ」と教えられた瞬間、誰もが思わず身より先に皮へ箸を伸ばすはず。
昼は“京都に寄り道”もいいけど……若狭でこそ「ぐじの本気」は味わえる
番組では京都の有名店【なかむら】も登場していました。たしかに上品で美しい。器も華やかで、黙って食べないと失礼な雰囲気すらある。でも―そのときボクはこう思ったのです。
“ぐじって、もっと「熱いうちにかぶりつく魚」じゃない?”
若狭の海辺で、漁師町の食堂【崇】や【おこ】で出てくる焼きたての一尾を前にしたら、もう礼儀なんて守れません。
「ねぇ、上品に食べようとしてたら冷めちゃうよ?」
「ほら、せーの、パリッ!」
……そんな瞬間が、一番ぐじに似合うのです。
実は“イタリアンで食べるぐじ”もある
【Lee°(リード)】っていう京都祇園のイタリアンも番組に出てたんだけど、ここでは「ぐじのカルパッチョ×レモンオイル」なんていうメニューが登場。これもボクたちっぽいと思いました。
ぐじは、正座で向き合う料理より“横並びで食べる距離感”のほうが似合う。
そういう恋人旅に、ぐじは意外とハマるのです。
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結論:ぐじは“上品な魚”じゃない。“恋人旅のスパイス”だ。
正直なところ、”食べたことがある”程度じゃじゃ語れない魚でした。
一緒に「パリッ」と音を鳴らす人がいてはじめて、本当の美味しさになる。
だからボクは思います。
「ぐじを語る資格があるのは、一緒に“皮から食べた人”だけ」
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ぐじを食べるなら“朝も夜も若狭で過ごすべき理由”
ぐじを語るなら、“夕食だけ食べて帰る”ではもったいない。若狭のぐじは 「夜に味わって終わり」ではなく、「朝にもう一度、その余韻を確かめるもの」だとボクは思っているからです。
夜のぐじは「香ばしさの魚」。でも、朝のぐじは「静けさの魚」。
夜――炭火で焼かれるぐじの皮がパリッと弾ける音。湯気とともに立ち上る脂の香り。
それは旅のテンションを一気に上げてくれる“ごちそうの音”です。
でも翌朝。
まだ海がうすいブルーグレーのまま眠っている時間、
旅館の食堂に入ると、小さな膳の隅に **焼きたての“ぐじの一切れ”**が置かれている。
さっきまで騒がしかった魚が、今は 「おはよう」 って言ってくれるみたいに、しっとりと静かに待っているのです。
その優しい空気の中で食べるぐじは――夜とはまるで別の顔になります。
「昨夜のパリパリは祝祭。
今朝のふっくらは、旅の最終確認。」
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“連泊する理由”ではなく、“泊まること自体がぐじを完成させる儀式”
ぐじは「食べた瞬間に終わる料理」ではありません。
“夜の香ばしさ”と“朝のやわらかさ”、
両方を味わってようやく一匹の魚になる。
だからこそ、若狭ぐじを食べに行くなら――
「日帰りではなく、一泊してこそ意味がある」
そう言い切ってしまいたいのです。
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若狭の朝に流れる“静かな幸福感”こそが、ごちそう以上の贅沢
朝食のでもの味噌汁から立つ湯気。
障子越しに差し込む光。それに並んで 「昨夜の余韻を少しだけ残したぐじ」 がいる。
その瞬間、あなたはこう思うはずです。
「ああ、ぐじって“味”じゃなくて“時間”の魚なんだ。」
ぐじを最高の形で食べるために必要なのは―調味料でも技術でもなく、「一晩の余白」。
だから若狭を旅する人には、こう言いたいのです。
「ぐじは“夜に感動し、朝に静かに沁みる魚”です。
どうか一泊して、その両方を味わってください。」
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若狭ぐじをもっと楽しむ“おすすめの旅の組み立て方”
ぐじの旅は「グルメ旅」ではなく、“時間の速度を変える旅”だと思うのです。派手な観光地や映えるスポットを詰め込むより、「一泊の余白」だけを目的にしたほうが、この魚の本質に近づける。
▶ パターン①|夕方に若狭入り → 夜のぐじ → 朝のぐじ → ゆっくり帰る旅
- 東京・大阪から電車で若狭高浜駅へ
- 夕方の海を横目に旅館「こすえ」に入る
- 夜は炭火の香りとともに「パリッ」の祝祭
- 朝は湯気とともに「ふっくら」の静寂
- 帰り道、道の駅で干物を物色しつつ「また来よう」と思う
この旅の魅力は、”「行き」と「帰り」で同じ海を見ても、表情がまるで違って見える”ところ。
▶ パターン②|京都で一泊 → 翌日、若狭へ抜ける「静かな寄り道旅」
- まず京都で「京料理のぐじ」に触れて“上品な顔”を知る
- 翌朝、京都から小浜線で若狭へ――
- 車窓に広がる海を見ながら、「ぐじの本拠地に近づいていく感覚」を味わう
- 夕方、若狭の宿で「京都とは真逆の素朴なぐじ」と再会する
この旅の醍醐味は、「同じ魚なのに、土地が変わると“性格”まで変わって見える瞬間」を体感できること。
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正解なんて、きっと誰にも決められない
旅というものは、本当はプランを立てる行為そのものより――
「どこで立ち止まり、何に心をほどかれるか」のほうが大切だ。
ぐじという魚は、“皿の上の料理”ではなく “時間の流れを一度リセットさせてくれる存在”なんじゃないかな、と思います。
「食べ終わった瞬間より、
翌朝の空気の中で “もう一度思い出す味”のほうが、ずっと強く残る。」
そんな魚は、他にそう多くない。だから、若狭ぐじの旅に出ようと考える人には――旅の目的地を決めるより先に、まずこう問いかけてほしいと思うのです。
「自分は、どんな“朝”を迎えたいんだろう?」
きっと、その答えの先に。焼きたてのぐじと、静かな幸福感が待っているのです。
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