山形の玉こんにゃくはどこが違う?芋煮の歴史と玉こんにゃくの関係は?スルメを入れた醤油で味付け!【あさイチ】

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こんにちは鳥巣です。9/19のあさイチ中継では、水中メガネにマスク、手袋という完全防備をして元学校の給食室で作る、ふるさと納税の返礼品としても人気のアルモノをNHK仙台放送局の岩崎果歩アナウンサーが紹介してくれるようです。岩﨑アナも完全防備で登場するということなので楽しみですが、それは恐らく「玉こんにゃく(玉こん)」ではないかと思われます。

山形の玉こんにゃくの歴史は?

こんにゃくと縁が深いのが、山形市にある「宝珠山立石寺(ほうじゅさん りっしゃくじ)」、通称「山寺」です。平安時代に開かれた寺で、開山した慈覚大師(円仁和尚)が中国から持ち帰ったこんにゃくを寺の精進料理に使いはじめ、それが周辺住民にも普及しました。

やがて、県内一帯にこんにゃくが広がっていったと言われています。現在、山寺の周辺の飲食店や出店では「玉こんにゃく」を販売。寺の本殿に行くためには、1015段ある階段を登らないといけないので、その前に食べる「力こんにゃく」として観光客から人気を集めています。

江戸時代に山形で、だんごの材料が不足したため、こんにゃくを丸く成型して醤油で煮て味付けし、串に刺して食べたという説があります。こんにゃく芋の栽培には、年平均気温が13度以上必要で、寒冷地では栽培が難しく、東北地方南部が北限とされています。山形県はこの条件に合っていたのでしょう。

山形県では、羽黒山麓や庄内平野で栽培されたこんにゃく芋を使用し、地元産のこんにゃくが作られています。また、朝日町では、近年手作りのこんにゃくを作る家庭も増えて、こんにゃく芋を栽培している個人の畑も目にするようになりました。ただ毎年同じ場所に植えると連作障害が起こるため、あらかじめ栽培可能な土地を確保しておく必要があります。また植え付けてから収穫できるまで2~3年かかるという滋養豊かな食べ物なのです。

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芋煮と玉こんにゃくの深~い繋がりとは?

山形といえば「芋煮会」が有名です。芋煮の中には里芋、肉、こんにゃく、ねぎを入れて煮込みますが、その味付けは地域によって味噌だったり醤油だったり、肉も牛だったり豚だったりと違いがあるようです。もっとも江戸時代までは四つ足の肉食は禁じられていましたから、その代わりに棒鱈やスルメなどが使われていたのかもしれません。

山形は里芋とコンニャクの消費量が全国一位と多く(2020年時点)、これは県内各地で芋煮が頻繁に作られていことと関係しているのかもしれません。芋煮は江戸時代から山形に根付きはじめ、現在でも家庭でよく食べられています。

芋煮(出典:農林水産省)
芋煮(出典:農林水産省)

「芋煮」の発祥は古く、1600年代半ばともいわれています。当時、最上川舟運の終点だったといわれる中山町長崎付近は、上方から北前船を使って酒田経由で運ばれてきた荷物の引取がおこなわれる場所でした。

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しかし、当時は船が到着したことを知らせる通信手段がなかったため、舟の船頭たちは荷受人が現れるまで何日も待たされることがあり、退屈をしのぐために河原で鍋を囲んで宴を開いていたといいます。

船着場の近くに里芋の名産地である小塩集落があったため手に入れた里芋と、地域で作られていたこんにゃくや積み荷の棒ダラ、スルメなどを鍋で煮て食べていたそうで、それが現在の「芋煮」のルーツとされています。

現在の玉こんにゃくも、醤油ベースの出汁で煮込むときに、スルメを加えたりするのは、こういった歴史があるからなのかもしれません。

玉こんにゃく(出典:農林水産省)
玉こんにゃく(出典:農林水産省)
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