ピンクレディーの未唯mieの今現在は?【画像あり】デビューはいつ?【行列のできる相談所】

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こんにちは鳥巣です。7月30日の日テレ「行列のできる相談所」では、ピンク・レディーの未唯mieさんがゲストで出演するようです。1980年の解散から40年以上が経って、現役時代をあまりよく知らないという方もいらっしゃると思うので、ピンクレディーについてまとめてみました。

「スター誕生!」でデビューしたピンクレディー

1976年に偶然「スター誕生!」(以後:スタ誕)という歌謡曲のオーディション番組を見ていたところ、そこに出てきたのが女の子2人のグループでした。オーディション番組なので当然無名だったのですが、歌った後で芸能プロダクションからオファーのプラカードが続々と上がったのでした。このグループが後の「ピンクレディー」でした。グループ名の「ピンク・レディー」は作曲家の都倉俊一さんが、カクテルの名前である「ピンク・レディー」から命名したと言われています。

スター誕生!時のピンク・レディー
「スター誕生!」時のピンク・レディー

「スタ誕」からは、ピンクレディー以前に森昌子などを輩出していて、その後は「せんせい」が大ヒットしたことで知られていました。スタ誕の時には赤・青のサロペット(今のオーバーオールのような服)でしたが、デビュー時には超ミニスカートやホットパンツなどで、大胆に肌を露出させたコスチュームになっていました。そしてデビュー曲は、「ペッパー警部」でした。

デビュー後のピンク・レディー
デビュー後のピンク・レディー

デビュー当初はミニスカートから大胆に伸びた太ももを、ガニ股に開け閉めする振り付けに、PTAから「子供が真似する」だの「子供に相応しくない」などの声が上がって、学校でもピンク・レディーのモノマネを「禁止」されたりする昭和な時代でした。

ピンク・レディー
ピンク・レディー

それでも当時の子供達には絶大な人気で、学校でも休み時間になるとクラス中の女の子がピンク・レディーの真似をして歌っていたものです。続く「S・O・S」や「渚のシンドバッド」に至っては、もはや歯止めが効かない状態になり、社会現象になりました。

デビューしたサザンオールスターズは、当時ヒットしていた沢田研二の「勝手にしやがれ」と、ピンク・レディーの「渚のシンドバッド」をちゃんぽんしてデビュー曲の曲名を「勝手にシンドバッド」にしたのだとも言われています。

誰もが知ってる国民的アイドル

ピンク・レディーが世に出る少し前にデビューしたのが「キャンディーズ」でした。彼女たちは5枚目のシングル「年下の男の子」でヒットを飛ばし、ピンク・レディーがデビューする1976年には、「春一番」などがヒットしてスターダムに駆け上がっていた時期でした。

キャンディーズ
キャンディーズ

NHKの歌番組出身で”良い子”のイメージがあったキャンディーズに対して、PTAも目をつける”ワル”のイメージを植え付けられたピンク・レディーでしたが、当時の学校では”キャンディーズ派”と”ピンク・レディー派”で人気を二分するほどだったのです。特に男子中高生の間では全員がどちらかの派閥に所属するほどで、名前も知らないのは男として認められないも同然でした。

ところが1977年にキャンディーズは突然、解散してしまいます。日比谷野音のコンサートのエンディングで発言した「普通の女の子に戻りたい!」の解散宣言は、当時の流行語大賞と言ってもいいくらいの衝撃でした。翌年に後楽園球場で行われた解散コンサートには空前の5万5千人を集めたお別れコンサートになりました。でも本当に”普通の女の子”に戻ったのは一人だけでした。

解散後もキャンディーズ人気は衰えるどころか沸騰していったのですが、やはり年少の子供達にしてみれば、やはりキャンディーズは過去の人になってしまったわけで、その時を生きていたピンク・レディーの人気が燃え上がったのです。

ピンクレディーの凋落と現在

1977年には、オリコンランキングで年間の半分以上の28週にわたって1位を占めたピンク・レディーは、男子中高生に限らず小さな子供たちの間でも大流行します。当時、幼稚園生だった女子に尋ねれば、「幼稚園バスの中で毎日歌って踊ってた」という返事が返ってくるはずです。

今でも販売されている日清焼きそば「U.F.O.」のCMにも起用されたので、ピンク・レディーの曲名を商品名にしたという都市伝説まで囁かれたほどです。

しかし1980年になると、みんな大好き松田聖子さんが歌手デビュー。ドラマ「3年B組金八先生」が始まって、トシちゃん・マッチ・ヨッちゃんの”たのきんトリオ”も登場します。それに反比例するようにピンク・レディーの人気は右肩下がりになりました。

一つには子供だったピンク・レディーのファン層が成長するに従って、「私たち、もう子供じゃないから」と言って離れていった影響があったのかもしれません。

そして1980年9月にピンク・レディーは解散を発表します。半年後の1981年には、東京ドームの前身だった後楽園球場で解散コンサートを行いますが、もはや往時の動員力はもはやなく、スタンドにも空席が目立ちました。消防関係者によれば当日の動員は1万5千人で、キャンディーズ解散コンサートの5万5千人には遠く及びませんでした。

当時、高校生だった私も、横須賀文化会館で行われた解散ツアーのコンサートのアルバイトに行きましたが、会場には燃え残ったコアなファンのお兄さんたちの声援ばかりが目立ち、客席は半分以上が空席でした。

ピンク・レディーの解散直後に所属事務所は倒産してしまいます。その後、自分たちで芸能事務所を立ち上げるも、経営に失敗して多額の借金を抱えることになります。

その後は5回も再結成と解散を繰り返しますが、世の中は松田聖子、中森明菜、小泉今日子をはじめとするアイドル乱立時代に突入していて、ピンク・レディーが入り込む隙間は無くなっていました。

そして現在、かつてのミー(現:未唯mieさん)は65歳になりますが、いまだに若さと美貌は健在で、往時を懐かしむ中高年の男女から支持される存在です。相方のケイ(現:増田けいこさん)もその後、歌手・俳優として活躍されています。

未唯mieさん
ピンクレディー・未唯mieさん
増田惠子さん
ピンク・レディー 増田惠子さん

ピンクレディーのまとめ

「スター誕生!」でデビューしたピンクレディー

1976年に偶然「スター誕生!」という歌謡曲のオーディション番組から出てきたのが女の子2人のグループ「ピンクレディー」でした。当時は「ピンク・レディー」という名前ではありませんでした。

誰もが知ってる国民的アイドル

当時の中学・高校では”キャンディーズ派”と”ピンク・レディー派”で人気を二分するほどで、特に男子中高生の間では全員がどちらかの派閥に所属するほどで、名前も知らないのは男として認められないも同然でした。

ピンクレディーの凋落と現在

1980年に解散を発表したピンク・レディーは、半年後の1981年には、東京ドームの前身だった後楽園球場で解散コンサートを行いますが、もはや往時の動員力はもはやなく、スタンドにも空席が目立ちました。そして現在、かつてのミー(現:未唯mieさん)は65歳になりますが、いまだに若さと美貌は健在で、往時を懐かしむ中高年の男女から支持される存在です。相方のケイ(現:増田けいこさん)もその後、歌手・俳優として活躍されています。

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