平賀源内ってどんな人だった?何をした人?エレキテルってなに?どうして死んだの?【あさイチ】

BLOG
スポンサーリンク

こんにちは鳥巣です。5/12のあさイチでは四国・香川県さぬき市にある「平賀源内記念館」から中継されるようです。平賀源内といえば、今年の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」でも、主人公の蔦重の師匠というか相談相手としても安田顕さんが演じて、大活躍されていましたが、ドラマの中では先日の回で獄死してしまいました。

私が小学生の頃やっていたNHK大河ドラマの「天下御免」(1971~1972放送)でも、天才発明家でもあり、長崎で身につけた新知識を駆使して、権力に臆することなく次々に起こる難事件を解決する痛快時代劇の中の主人公(主演:山口崇)として活躍されていました。ゴミ問題や受験戦争など、放送当時の世相を絡めて風刺を効かせた“ニュー時代劇”として話題になっていたことを今でも覚えています。

平賀源内ってどんな人だった?

学校の教科書にも出てきた「エレキテル」や数々の発明品から、戯作本や西洋絵画まで手がけたマルチクリエイターの元祖だった平賀源内ですが、その最期も非常だったといいます。

安永8年(1779年)夏に、平賀源内は神田大和町から神田橋本町に引っ越しました。そこは貸金業を営んでいた前家主の家でしたが、前の家主は悪事を働いた罪で追放されて野垂れ死にし、その子供も屋敷の井戸に落ちて死んだと伝えられています。

言ってみればいわば凶宅だったわけで、案の定、転居して半年もたたないうちに平賀源内は、「酒の上の過ちから人を斬り殺した」と奉行所に自首してきたのだそうです。

最期は殺人事件を起こして奉行所に自首し、52歳で牢屋で病死したといわれていますが、そのいきさつはいまだに謎に包まれているといいます。今回の大河ドラマでも何となくウヤムヤにされていました。

平賀源内(出典:平賀源内記念館)
平賀源内(出典:平賀源内記念館)

安永初年(1772年)には、40代半ばに達した平賀源内といえば、江戸でも一、二を争う切れ者の本草学者(漢方薬などを扱う植物学者)であり、西に東にと飛び回る凄腕の山師(投機や冒険をする人、サギ師)でした。

次々にベストセラーを出す人気戯作者でもあり、最新の西洋絵画を伝える気鋭の絵師、陶器から羅紗(ラシャ・毛織物の一種)までを扱う産業技術家であって、昨今のハードルが低くなったビートたけしのようなマルチタレントなどとは比べ物にならない大活躍をしていたといいます。

自他ともに認める天才で、自信家で、やけに鼻っ柱が強く、すぐに大風呂敷を広げるところは現代のタレントにも通じるところはありますが自著の中では戯作では、聖職者や医者、学者、庶民の男女まで手当たり次第にこき下ろすような、鼻持ちならない野郎だったといいますが、その割に人には嫌われなかったといいます。

本草学者から突如、戯作者に転身した時も周囲からの批判は少なかったようです。世間は呆れるより、むしろ「また源内が何かおもしろいことを始めた」と興味津々だったのではないでしょうか。

一方、親友の杉田玄白は「解体新書」の翻訳に専念して、歴史に残る大業を成し遂げた。平賀源内も興味の対象を一つに絞ってそれに集中していたなら、もっと大きな業績を挙げられたのかもしれないし、そのことは源内自身も自覚していたに違いない。その証拠に晩年、「功ならず名ばかり遂げて年暮れぬ」と自嘲の句を残しています。(参考資料:PRESIDENT Online)

¥902 (2025/05/08 13:11時点 | Amazon調べ)

平賀源内記念館

<広告の下に続きます>

平賀源内が発明した「エレキテル」ってなに?

学校の教科書では、「平賀源内が『エレキテル』を発明した」と習った覚えがありますが、実際はオランダから輸入された壊れた”起電機”を6年かけて修理して、1776年に復元したというのが正しいようです。

起電機とは、静電気を発生させる装置で、箱の内部でガラス円筒を回転させて、金箔と擦り合わせて、その摩擦で静電気が発生する装置です。この静電気を、学校の実験でも使った「ライデン瓶」のような蓄電瓶に蓄えたものです。

この蓄電瓶は、中に金属を詰めたガラス瓶の外側に金箔を貼り付けて、中の金属と外側の金箔に電極を取り付けた、いわば今でいう”コンデンサー”だったようです。

エレキテル(複製)(出典:国立科学博物館)
エレキテル(複製)(出典:国立科学博物館)

当初は見せ物として人気がありました。源内は頭痛や神経痛などの治療用の医療機器としての効能も謳っていたようですが、その医学的根拠ははっきりしていません。

もっとも頭痛や肩こりなどは、首まわりの筋肉の緊張による血行不良が原因で体調が悪くなることも多く、腰痛などをを電気の刺激で緩和して血流を促進させ、頭痛をなくすという治療法はあったようです。

エレキテル自体は、皮下に電流を流して筋肉攣縮を起こすことが発見されていましたが(感電するとビクッとする)、単にそれだけのことだったようで、日本では、放電時のバチっという音と、瞬間的に見える稲妻のような光を見せるだけの、主に見世物としての用途がほとんどだったようです。

<広告の下に続きます>

まとめ

平賀源内ってどんな人だった?

安永初年(1772年)に、40代半ばに達した平賀源内は、江戸でも一、二を争う切れ者の本草学者でであり、西に東にと飛び回る凄腕の山師(投機や冒険をする人、サギ師)でした。次々にベストセラーを出す人気戯作者でもあり、最新の西洋絵画を伝える気鋭の絵師、陶器から羅紗(ラシャ・毛織物の一種)までを扱う産業技術家であって、昨今のハードルが低くなったビートたけしのようなマルチタレントなどとは比べ物にならない大活躍をしていたといいます。

平賀源内が発明した「エレキテル」ってなに?

エレキテルとは、静電気を発生させてその電気をためることのできる装置で、いわば今でいう”コンデンサー”だったようです。箱の内部でガラス円筒を回転させて、外側に貼り付けた金箔と擦り合わせて、その摩擦で静電気が発生する装置です。この静電気を、学校の実験でも使った「ライデン瓶」のような蓄電瓶に蓄えたものです。

タイトルとURLをコピーしました