滋賀・愛荘町のびん細工手まりってどうやって作るの?手毬をどうやって瓶の中に入れるの?【あさイチ】

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こんにちは鳥巣です。11/11のあさイチでは滋賀県の愛荘町から”びん細工手まり”の中継があるようです。手毬は、明治生まれだった私の祖母も作っていて、実家にはいくつもの手まりが飾られていましたが、それは手に取れる普通の手まりで、特段のものではありませんでした。しかし今回紹介される”びん細工手まり”は、手まりが球体の瓶の中に入っています。いったいどうやって瓶の中に手まりを入れたのでしょうか?

手まりの発祥は蹴鞠から?

中国が発祥と言われる手まりは、奈良時代以前の”飛鳥時代”に日本に伝わったと言われています。確かに手まりはゴムまりのように弾力はないので、地面に撞(つ)いても跳ね返ってきたりはしません。

こどものころにやった、♪あんた方どこさ 肥後どこさ 熊本さ…♪のような手毬唄で遊ぶようなものではなかったようです。大化の改新で有名な中大兄皇子と藤原鎌足は、当時の貴族の間で流行していた”蹴鞠(けまり)”を通じて知り合ったという説もありますから、当時は”手毬”ではなく”蹴鞠”だったのかもしれません。

下鴨神社の蹴鞠はじめ(出典:京都の祭り・行事)
下鴨神社の蹴鞠はじめ(出典:京都の祭り・行事)

蹴鞠は脚で球を蹴り上げて、地面に落とさないようにする遊びですから、毬に弾力がなくても問題ありません。手を使って毬で遊ぶようになったのは、室町時代と言われています。

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びん細工手毬はどうやって作るの?

手毬は綿や布などを芯にして球状に丸くしたものに、周りに刺繍糸を縫い込んで模様を付けていきます。芯を丸くするだけでも大変な作業ですが、刺繍糸で柄を付けていく作業には、複雑なものだと何か月もかかるそうです。

手まり(出典:「巡る滋賀」)
手まり(出典:「巡る滋賀」)

”ボトルシップ”はご存じだと思いますが、あれは口の狭いウイスキーのボトルのような瓶の中で、帆船などの模型を組み上げていく作品です。ボトルの入口は狭いので、作り上げるには器用な手先と相当な根気が必要だといいます。それでも組み上げる部品自体は一つ一つ小さいので、売りたたんだりしてボトルの口から中に入れることはできます。

ボトルシップ(出典:Loipo)
ボトルシップ(出典:Loipo)

しかし手まりは、瓶の中で細かい刺しゅうをするわけにはいきませんから、外で作った手まりを、なんとかして細い瓶の口から中に入れる必要があります。しかしできあがった手まり自体は硬いですから瓶の口から中に入れることはできません。いったいどうやって入れるのでしょうか?

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びん細工手まり(出典:「巡る滋賀」)
びん細工手まり(出典:「巡る滋賀」)

そもそも「びん手まり」は、町立愛知川びんてまりの館の学芸員の小川亜希子さんによれば、”売り物として作られたのではなく、贈り物として伝えられてきたもの”だといいます。びん手まりは、「丸くて(家庭円満)、中がよく見える(仲良く)」ことから、新築や結婚祝いに贈る縁起物として用いられてきたのだそうです。

江戸時代の終わり頃、近江商人の家から愛荘町に嫁いできた嫁いだ女性が、嫁入り道具として持参したといわれています。明治20年代になると、国内でびんが量産されるようになり、愛荘町でも中山道沿いにガラス製品を扱う商店が開業し、びん手まり用のびんも販売していたのだとか。

秘伝のびん手まりの作り方ですが、一体、びん口より大きな手まりを、どうやってびんの中にいれるのでしょうか?それは、最初にひもをぐるぐる巻いて球体をつくってから、それを土台にして、普通に手まりの刺繍をしていきます。

手まりが完成したら、中のひもをいったん抜き取ります。そして中が空洞になった手まりを畳んで、びんの中に入れ、びんの中で綿を詰めて丸い形に整えていくのだそうです。

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と一口に言っても、「刺しゅうを施した手まりから中の紐だけ取り出せるの?」、「外側の”皮”の部分は崩れないの?」と疑問は次々に沸いてきますが、そこが”秘伝”の秘伝たるゆえんなのでしょう。

 複雑な刺繍がほどこされた手まりを一旦崩して、再度、びんの中で元の球体に仕立てるという手間のかかる工程ですから、糸の引き加減や丸くするための綿の固さ調整は、体と手が覚えるものなのだそうです。

ですからびん細工手まりも、数をこなしていくことで少しずつ感覚を掴んでいったのだそうです。もう人間国宝並みですね。美しくも不思議な工芸品。びんてまりの伝承経路は、謎に包まれているそうです。

愛荘町立愛知川びんてまりの館

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まとめ

手まりの発祥は蹴鞠から?

中国が発祥と言われる手まりは、奈良時代以前の”飛鳥時代”に日本に伝わったと言われています。「大化の改新」で有名な中大兄皇子と藤原鎌足は、当時の貴族の間で流行していた”蹴鞠(けまり)”を通じて知り合ったという説もありますから、当時は”手毬”ではなく”蹴鞠”だったのかもしれません。蹴鞠は脚で球を蹴り上げて、地面に落とさないようにする遊びですから、毬に弾力がなくても問題ありません。手を使って毬で遊ぶようになったのは、室町時代と言われています。

びん細工手毬はどうやって作るの?

最初にひもをぐるぐる巻いて球体をつくってから、それを土台にして、普通に手まりの刺繍をしていきます。手まりが完成したら、中のひもをいったん抜き取ります。そして中が空洞になった手まりを畳んで、びんの中に入れ、びんの中で綿を詰めて丸い形に整えていくのだそうです。

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