湘南・鎌倉の伊勢エビはなぜ「鎌倉海老」と呼ばれるの?【食彩の王国】

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こんにちは鳥巣です。1/11の食彩の王国では鎌倉の伊勢海老が紹介されるようです。神奈川県の湘南海岸は、真鶴半島から鎌倉の稲村ケ崎まで”相模灘”と呼ばれる砂浜になっていて、海の中も岩場になっているところはあまりありません。なぜ岩場を好む伊勢海老が鎌倉で有名なのでしょうか?

鎌倉海老は伊勢海老とは違うの?

私は初めて聞いたのですが、関東では「鎌倉海老」が本来の呼び名だという方もいらっしゃいます。伊勢神宮にお参りするときに献上したのが伊勢海老で、それ以前の源平の頃から相模湾では源氏に献上したからだといいます。ですが鎌倉海老と伊勢海老は同じ種類のエビです。

しかし伊勢神宮は、約2000年も前に天照大御神を祀るために、皇女倭姫命が伊勢国五十鈴川のほとりに宮を建てたのが起源といわれていますから、鎌倉時代より1000年以上も前の話なので、ちょっとおかしい話です。

伊勢海老という名前はもちろん、伊勢の海でたくさん獲れたこともありますが、比較的浅瀬の磯で獲れたから”磯でたくさん獲れる海老”や”威勢のいい海老”だからという説など諸説あります。確かに伊豆の浅瀬の岩場では、初夏は夜になると赤い”海老網”が仕掛けられて、朝には網にかかった伊勢海老を水揚げするという漁法が一般的です。

とはいうものの、鎌倉では古くから源氏に献上していたことから鎌倉海老と呼ばれているそうです。

鎌倉で伊勢海老は獲れるの?

湘南海岸も藤沢の江の島を過ぎたあたりから、鎌倉方面に向かうと所々に岬が見られるようになります。サザンの映画「稲村ジェーン」で有名になった稲村ケ崎です。源義経が頼朝に追い返されたと話で有名ですが、ここを過ぎると鎌倉の七里ガ浜に出ます。

七里ガ浜から材木座を過ぎると逗子マリーナと小坪漁港になりますが、鎌倉時代にはここは鎌倉の東のはずれでした。この辺りになると浅瀬の海底は岩場になって、絶好の伊勢海老の住処になります。

さすがに伊勢から生きた海老を運んでくるのは大変ですから、関東(江戸近郊)の伊勢海老の多くは鎌倉で獲れたものだったのかもしれません。

鎌倉の稲村ケ崎にあるレストラン「レネ稲村ケ崎」では、この鎌倉海老を使ったメニューも提供しているようです。ここでは鎌倉で、300年前の江戸時代から続く網元「長四郎網」から仕入れた鎌倉海老などを使っているそうです。フランス・ノルマンディ生まれのシェフ、レネ・アントニーが腕を振るっています。

LAINE INAMURAGASAKI レネ稲村ケ崎

まとめ

鎌倉海老は伊勢海老とは違うの?

関東では「鎌倉海老」が本来の呼び名だという方もいます。伊勢神宮にお参りするときに献上したのが伊勢海老で、それ以前の源平の頃から相模湾では源氏に献上したからだといいます。ですが基本的に鎌倉海老と伊勢海老は同じ種類のエビです。

鎌倉で伊勢海老は獲れるの?

鎌倉の七里ガ浜から逗子方面に向かって材木座を過ぎると逗子マリーナと小坪漁港になりますが、鎌倉時代にはここは鎌倉の東のはずれでした。この辺りになると浅瀬の海底は岩場になって、絶好の伊勢海老の住処になります。この辺りなら伊勢海老がたくさん獲れていても不思議ではありません。

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